Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

リユスルーのすすめ

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フォイフォイフォイッ!
おはようございます。
効果的な疲れの取り方を探し求めている
タクさんです。

なんでしょうねぇ
走ったら疲れが取れるって言われたので、
走って見たのですが、めっちゃしんどいです。

ちょっとヨガが気になり始めております。

さて、
今日は
リユスルーについて書いてみたいと思います。

 

なんじゃ?
リユスルーって?
っていうところからご説明させていただきます。

リユスルーとは、
理由をスルーする。
ということです。
略してリユスルーです。

なんていいますか、
僕らって、無条件に全てのことには理由があるはず!
っていう信仰を持ってたりするんですよね。

それは、世界は原因と結果で出来ている。
っていう信仰です。

でも実は、原因と結果はあってない様なものなんですよね。

ものすごく巧妙に、原因と結果で出来ている様に見えちゃうんですから
わからないことがあると、知らない理由があるはずだって思っちゃうんです。

でも、この原因と結果って、物語の中にしか無いんですよねー。

物語とはストーリーです。
ストーリーは起承転結があり、伏線と回収があります。
だから、結果には理由がある様に見えるんですけど、
この原因と結果と理由って、ストーリーの中にしか無いんです。

ストーリーとは思考です。
つまり、原因と結果というのは、思考の中にしかないということになります。

思考というのはイメージであり、それ以上でもそれ以下でもありません。
つまり、思考って実体があるわけじゃないんです。

つまり原因と結果というのは、イメージの中にしか無いものだということなんです。

なので、自分がどんなストーリーを見てるのか?
っていうのを確かめてみたい時には、何故なんだろう?っていうのをみて見るのも良いのですが、それはあくまでもストーリーを解明するときだけで良いんですよねー。

なので、そのまんまにリラックスしてみたい時には、
理由ごとゴッソリスルーして、置いておいてやったら良いんです。

理由なんてお呼びじゃない!
ってね。
理由を置いておいて、理由なき今にただ、佇んでみるんです。

すると、そこにリラックスしているだけで、
理由なきダイレクトさが芽吹いてきてくれるんです。

「はぁぁ、、、理由を追い求め、必死にストーリーを観てたんだなー」ってね。
その時に気づくんですよね。

この話はストーリーを改善させるものではなく、
どんなストーリーもそれでよかったんだと知ることで、
その意味がわかってくるってことだったんですよねー。

理由を求める思いが出てきたなら、チャンスです。

思いっきりその理由をぶん投げてやりしょう。
そして、今にリラックスしてみるんです。

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