Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

経験に色付けされた経験。

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僕らの経験って、理解した時点でかなり歪められちゃったりするんですよねー。
実際の経験、体験は、ダイレクトな何でもないものなんです。
それに意味づけされた時、言葉で説明された経験になるんですけど、
ここでストーリーになったりする訳ですねー。
そして、経験はストーリーとなったものとして認知されるという訳です。

ストーリーの元になってる経験も言葉になった時点で違うものになってる。
みたいな感じですかねぇ。

 

でね。
あーそうやねー。経験にこういうストーリーがくっついとるのねー。
ってね。
単にそのくっついているストーリーをね。
ストーリーとして見てあげると、ものの数分でそのストーリーは消えていくんです。

映画のワンシーンを見てたら、そのシーンは数分で過ぎ去るのと一緒でね。

ただ、僕らはこのストーリーを絶対的な現実なんだ!
ってね。
しっかりと捉えてたりするもんですから、
繰り返し繰り返しそのストーリーを見ては、この現実に苦しんだり、
不安に思ったりする訳なんですよねー。

ストーリーは思考と言葉で出来ております。
そして、僕らの現実はストーリーそのものなんですよね。

なので、現実をつかんでいる間は、ストーリーをつかんでいる事になっちゃうんです。

でねー。現実ってこのストーリー以外のどこかには無いんですねー。

なので、真理とか真我と言ったような現実がどこか別のところにあるのか?
といいますと、それも無いんです。

経験は、ダイレクトな経験として単にあります。
その経験に色付けをすると、ダイレクトな経験じゃなくて、
その色の方を経験だと解釈しちゃう。

その解釈が言葉となり、思考と言葉が出会う事によって、
言葉は現実へと変貌していくんですよねん。

そしてストーリーをつかんでおりますと、
その現実にググッと入り込みます。

じゃあ、あんたが言ってる「それ」って何なのよ!
ってねぇ。
聞きたくもなると思うんですけど、
この「それ」っていうのは、経験に言葉がくっついて現実になってるよねー。
ってね、
単に気づいているとき、この気づきだけしか無いよねー。
そして、気づく対象と気づいている者って分かれてないよねー。
この分かれてないものを言葉で表現しようがないよねー。
だって分かれてないんだから。

っていうね。
そのことを「それ」だといってだけなんです。
そしてこの無色透明のエネルギーはどんな色にもなるし、
その色を通して世界を見ると、世界は色付けされるわけなんですよね。

色はそのまんま無色透明のそれと何ら変わりはないし、
その色も実際に色づいている訳じゃなく、色として見ている間だけ、
色付けされているだけって事ですのでね。

その色を楽しむも良しですし、その色に良いも悪いもないんです。

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