Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

見てみる。そのまんまにしておくのコツと、ここに在る「悟り」について。

f:id:takuteto:20181109171942j:plain

こんにゃくってあるじゃ無いですか。
結構大昔から食べられてたそうなんです。
あれね。ご存知の通りこんにゃく芋から作られてるわけなんですが、
こんにゃく芋ってね。
そのままだと毒があるんですよ。

結構強力な毒だそうで、
石灰を使って毒を分解させて作ってるんですよね。

で、そうやってややこしいことして、作られたこんにゃくは栄養なし!
な訳です。

昔の人、面白すぎです。

 

はい。
おはようございます。
こんにゃくゼリーが大好きな
タクさんです。

まあ、出来ることっていうのは、
見てみること。
そのまんまにしておいて、見てみることくらいしか無いんですけどね。

これ、
思考が起こってるなら、思考が起こってるよねーってね。
単に見てみるんです。
って言ってたりするんですけど、
今日はこの辺をもうちょっと詳しめに書いてみたいと思います。

ありがちなのが、
何を考えてるのか?というのをみちゃうって事なんですよねー。

それだと、単にみてみるとは違ってきて、
ふつうに思考してることになっちゃうんです。

思考の中身については置いておいたらいいんです。

ただ単に思考が起こったことについては気づいてますよね?
その気づいてる場所にとどまってみたらいいんです。

何をみているのかは置いておいて、みてることに気づいているこの気づきにとどまってみるんです。

五感を通さなくても、全てはただ、在ります。
五感を通した時点で知覚されたものに変わりますが、
変わったのは単なる認識であって、在るは変わりません。

その在るにとどまってみるのが、
そのまんまにしておく。単にみてみる。ここに在ってみる。
ということなんです。

そして、この場所こそ「在る」の場所。
つまり「それ」です。

で、どこまでいっても「それ」しか無いんじゃん。
「えー!」って思うけど、
「やっぱりどこまでいってもあるのは「それ」だけなんかー!」
ってね。
その真実に悟ること。それが「悟り」なんです。

最初は、「それ」を知っても、
「それ」しかないなんて、、、
「んなーことはない!」ってなかなか認め難いものでもあるんですよね。

それを認めたら、それは自分の死でもある。
ってね。
そんなことも自我ちゃんは考えるわけです。
だから、自我ちゃんは探し続けます。
だって「それ」しかないのはあんまりだし、面白くもなんともないですからね。
自我ちゃんにとっては。

で、とうとう諦めに達したとき、
立ち位置の変化が起こるんです。

立ち位置が自分という位置から、
あまりにも当たり前な、「それ」に立ち戻るんです。

なので、この話はファンタジーでもなく、キラキラしたものでもないんですが、
立ち戻った時にあるのは安堵なんです。

そして、安堵した時に感じるのが、ここにある生のエネルギーです。
このエネルギーは宇宙が始まったビックバンの時点から一切時を経ず、ここに在り、
あらゆるものを表現しているんです。

全てであり、あらゆる表現をし、その表現を意味を通さず気づいているんです。

ま、そういうわけでして、
あらゆる事が思考されますが、
何を考えてるのか?を見てるのは思考だけど、思考があることに気づいてるのは「それ」だというわけです。

なので、単にみてみるときは、何をみているか?何を考えているのか?をみるというよりは、
あー、思考が起こったんだねー。ってね。
単にみてみたらいいんです。
そして、何を考えてるんだろう??とか考え出したのなら、
それを一旦おいておいて、そのまんまにしておいてみるんです。

▼facebookページはこちら。毎日ひとことアップ中!
もしよろしければ、「いいね」をして、フォローをお願いします。