Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【悟りとは】悟りとネタバレ

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はい
おはようございます。
タクさんです。

悟りって言葉をね、辞書で調べてみますと、
理解。それに気づくこと。
ってねー。
説明されておるわけですが、
これね。
何を理解してるのか?
何に気づいているのか?

と言いますと、

ネタはわれとんねん!

ってことに気づいている。
という事なんですよねー。

で、何を理解してるのか?と言いますと、
いやいや、気づきしかないやん。
って事なんです。

 

僕らの意識ってね。
伸縮可能な一枚の布のようなものなんです。

もうちょっと厳密な表現をしますと、
めっちゃ縮むことができる大きな布といってもいいかもしれません。

この意識の布が全体にくまなく広がっております。
そしてそれ以外には何もありません。

あるのはこの意識、気づきの意識だけだというわけです。

この意識の布があるから、僕らはあらゆることに気づけるわけです。
あらゆる体験もまた、
この意識の布に映る映像のようなもので、この意識があるから気づくことができる。
そして、体験に気づいている間、その意識は体験をしているんです。

この布で映像を観る時は、この意識の布のある一点にフォーカスして観てるんです。
この時、この全体に広がる意識の布は、
そのまま全体でありながら、
イメージの中で見てる映像のサイズに縮まります。
そして、
縮まった意識のスクリーンは、そのまま自分となります。
ただ、このスクリーンは、そのままだと無色で、なんでも無いものですので、
今度はそのスクリーンに一番身近なものを、自分だと定義し始めます。
これもイメージの中だけの話なんですが、そうやって、スクリーンの中のストーリーに、その時一番身近に感じるものを仮の自分として、僕らは映像を楽しむわけです。

悟りとは、この仕組みのネタバレでしかありません。
どこでネタバレが起きるのか?
どこでバレちゃうのか?
といいますと、

全体に広がる意識のスクリーンを、イメージ上で小さく収縮させて、
そこに自分を当て込んでいるということ。
このことがバレたときに、発覚するわけです。

ああ、そういえばそうしてるわ。。。
って気づくんです。

するともう、収縮させるパワーを割く意味が失われます。
もちろん、収縮させることはできるわけですが、
今まで、自分だと思ってたものが、身近な何かを自分だと役付けていただけなんだ。
と知った上で、役じゃないんだと思い続けることに意味を見出せないのと似ています。

だからといって、今までもずっと自分は意識のスクリーンそのものであったことは変わりませんので、何かが変わるということでも無いんです。

もちろん、意識のスクリーンには今まで通り、あらゆることが起こります。
ただ、そこにある気づきは何も変わらずずっとここにあるんです。
ずっと変わらずあるので、時間の観念も当てはまらず、それしかないので、分離はありません。

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