Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

心の葛藤と分離

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はーい!おはようございます。
タクさんです。
今日は午後からタクさんセッションを行う予定になっています。

おかげさまで、本日は満杯になりました。

11月は18日は少々空きがありますが、
25日もいっぱいになりました
ありがとうございます。

今月中旬以降に12月分の募集を行いたいと思います。

是非よろしくお願いします。

 

結構欧米なんかでは、宗教的ではなく、
何かを習うでもない。
そんな非二元をシェアするような場がたくさんあるらしいんですよね。

この話は何か特別なものになるわけではなく、
習得するようなものでもありません。

ただ、中々自分では掴んでいる分離に気づいていなかったりもするんですよねー。
ま、そもそも、自分という観念もまた掴んでいる分離だったりしますのでねぇ。

お!そうやった!そうやった!
ってねー。
知らない間に握りしめてた掴んでいること。
そんなことに気づけるような場もねー。あってもいいと思うんですよね。

分離が葛藤を生むと、僕らは心に苦を感じたりするわけです。
そして、その分離からくる葛藤が生じると、
僕らは反射的に、その葛藤を埋めようとするんですよね。
そして、その葛藤が埋まらないとき、僕らは自身に足りなさを感じるわけです。
この足りなさが積み重なっていくと、
自分への承認ができなくなり、この自己承認が足りなくなると、
余計に苦を感じたりするんです。

この自己承認を足りなくさせている原因となっている葛藤。
この葛藤の原因となっている観念が、でっち上げだったんだとしたら、
そのでっち上げのせいで足りないという思いに塞ぎ込んじゃうのって、
ものすごく勿体ない!
って思いますよねぇ。

葛藤が生じる仕組みを知ったとしても、
葛藤が起こることは無くならないかもしれません。

でもね。
あー、これとこれが葛藤してるのね。
ってね。
知ることが容易になっては来るんです。

で、知っちゃうと、その葛藤は苦では無くなってくるんですよねー。

なんで世の中は真っ赤なんだー!ってね。
ビビった時に、
「あ、赤色のメガネをかけてたからかー。」
ってねー。気づいちゃうと、
「あー、それなら良いねん。」
ってね。
景色は変わらなくとも、騒がなくて済むようになりますもんね。

なんかそんな感じに似ています。

そういう意味では葛藤はある種のチャンスです。

ああ、ここにこういう分離があるのねー。
ってね。ものすごく気付きやすくなっていますからねー。

ただ、やっぱりその奥には「〜であるべき」がありますので、
このべきへのこだわりが強いと、なかなか気付きにくくなってたりもするわけです。

この「べき」が間違っているというわけじゃないんですよね。
そして、もちろん、正しいということでもないわけです。

この、正しさと間違いというものが、この世にはあるのだ!
という思いも、これまた、ひとつの「〜べき」だったりするわけなんです。

「〜べき」はあってもいいんですけどね。
それを理由に自分をいじめなくても良いんです。

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