Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

僕らにかかってる暗示

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はい。
おはようございます。
背中に慢性的な疲れを感じつつあるタクさんです。

みなさん如何お過ごしでしょうか?

いやねぇ。
定期的にマッサージには行くんですけどねー。
どうも、最初に疲れるのが背中なんですよねー。
姿勢が悪いのかなぁ。

ま、それはそうと、
今日は、暗示の話をしたいと思います。

 

眠たくなーれぇ。眠たくなーれぇ。
みたいなね。

わっかりやすい暗示なら、
ワシ、暗示にかかっておる。
ってわかったりもするもんですが、
僕らは知らないうちにかかってる暗示が多いんですよねー。

「それ」とか「気づき」っていうのは、
へ?そっか!暗示にかかってたんか!
っていうことに気づくということでもあるんです。

ただ、厄介なことに、この暗示はヒトのもつ本能でもあるんですよねー。
そして、ヒトはその暗示のおかげで発展してきたとも言えるんです。

つまり、ヒトの特技でもあるんですよね。

僕は男だ!
ワタシは女だ!
ワシは社長だ!
ワテは主婦や!
オイラは主夫だ!

私は日本人だ!アメリカ人だ!

といったような諸々のこと。
これらが事実のように思えるのは、人の持つ暗示力のおかげです。

暗示は別に悪いことじゃないんですが、暗示だということを忘れて、
現実視をしすぎていると、困った現実に悩まされることになるんですよねー。

だって、現実って変わらない不変のもののように感じたりもしますからね。

ヒトは暗示力を持つから、同じ暗示を共有することも出来ますし、
社会を作って集団の力を発揮することもできるんです。

共有できるのは、コミュニケーションが取れるからなんです。
そして、共有することによって、分担もすることができるわけです。

つまり、暗示力と、共有力はとっても便利な機能でもあるんです。

人の発展の歴史は、この共有力の発展の歴史でもあります。
文字の発明で、直接話さなくても伝わるようになりましたし、
紙の発明で、手紙によってコミュニケーションできるようになりましたし、
電話やファックスで、遠くの人と会話できるようになりましたし、
インターネットで、瞬時に世界と繋がるようになりました。

ま、とは言っても、やってることは、暗示とその暗示の共有っていうことなんですよねー。
これを便利に使って遊ぶのは良いんですが、この暗示はいつしか現実感となり、
僕らは自由を現実化された枠にはめ込んじゃったりするわけです。

すると、その現実感が強い分、不自由感を感じたりするんです。

ちなみに、それが暗示なんだと気づいたからといって、
人の本能である暗示力が発動しなくなるというわけじゃありません。

つまりは、怒ったり悲しんだり、イラついたりは普通に起こるわけです。

ただこれは、反応として起こっているだけなんですよね。

天気みたいなもんです。

そして、雨と晴れにどっちがいいとかどっちが悪いとかそういうものもありませんからね。

あ、起こってるんだなって気づくんです。

気づいちゃうともうこれが反応と暗示だとわかりますので、
なんていうか、目の前の寸劇を見て、これが現実なんだ!って思えと言われても、、、。
みたいなね。

アニメを見てて、「アニメじゃないっ!!」
「ホントのことさー!」
って言われても、、、。

ってなるんです。

ま、僕はドキュメンタリーだったり、
映画でも、これは実話を基にして描かれました!
とか言われると、うおぉぉ!ってなるんですけどね。

で、さらには、現実もアニメもそこに差はないことも知っちゃうんですよね。

夢も現実も同じ。
どちらもあってないようなモノですし、

アニメだからって無いというようなものでもなく、
現実もそうで、あるでもなく無いでもないんですけどね。

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