Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

非二元と虚無主義

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おっはようございやす!
タクさんです。

「それ」とはなんでも無いもの。
と言ったような非二元の話。
これってやっぱり虚無主義やん!
って言うことも結構言われます。

僕もねー。以前、そう思ってたんですよ。
だから、虚無主義じゃ無い理由が聴きたくて探してたことがあります。
でも、大体の答えは、

「この話が虚無主義だって??ハハハー!それは全然違うんですよ!」

以上。
で終わるパターンばっかりで、
どないやねーんって!ツッコミまくりでした。

 

まあねー。
そりゃ、
「希望は絶対叶う!」的な話のほうが良いですよね。

それだったら、信じてやっても良いかも!
なんて思うわけですが、
非二元にかかっちゃうと、
信じるとか信じないとか、そんなんどっちでも良い。
っていうか、非二元の話は信じちゃダメ!

そして、「それ」とはなんでも無いもの。
希望でも絶望でもなく、単に「それ」。

ザッツオール!

って感じですからねー。

オイオイ
夢も希望もないやんけっ!
全然、オモロくないし、喜べないし、救いもないじゃん。
って思ったりもするわけです。

でもねー。
それは全然違うんですよねー。

「虚無主義?いやいやそう言うことじゃないんですよー!」
って言うことなんです。

ちゃんちゃん♪


って終わったら、
「どないやねーん!」
って言われそうなので、続けますとね。

この話は虚無主義じゃなくて、
例えば、「希望はきっと叶う!」みたいなね。
そんな言葉にさえ依存しなくて良いという究極な自由の話なんです。
希望を信じる信じない以前に、もう希望そのものとして謳歌する!
っていう話なんですよねー。

自由に枠をつけない。
希望に枠を設けない。

だから、自由であり希望である。

みたいな感じですかね。

もうイノチそのもの!と言うわけです。

何かを絶対に掴まなきゃならない。
ということからの解放なんです。

何かを掴まなきゃならない!
と思ってると、
絶望よりも希望が良いよね!
ってなりますよねぇ。

「なんでもないもの」とかいわれたら、
「なんでもない」を掴み取らなきゃならなくなります。

で、どうせなんでもないもんねー。
っていう態度をとり続けてますと、そりゃぁ虚無っぽいです。

それは、捉えたものの中でなんとかしなきゃならんという思いがあるから生じるものであって、
海の中で水をすくい上げて、この水の中だけで生きていかなきゃいけないって思ってる魚のようなものなんです。

いやいや、なんでこんなに海は広いのに、わざわざ枠を設けなきゃならんのですか。
しかも、枠を設けてる人たちのその枠、実際にはないじゃないですか!
っていう話なんです。

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