Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自己肯定感が足りない時

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「なんの為に生まれてきたの?」
「なにをすれば良いの?私の存在価値は??」

こういう問いってねー
なんていうか、人が悩む根源的なものなんじゃなかろうか?
なーんて思うんですよね。

もし、ここが満たされてたなら、人はイキイキと輝き出しますし、
問題も生じてこないと思うんです。

でも、ここが満たされてないと、どんどんと自己肯定感が低下しちゃったりしてねー。

この自己肯定感の低下。
これが僕らの一番の問題、苦の根源だったりするんですよね。

足りないという思いも、これまた自己肯定感の低下から生じているわけです。

そして、足りないから埋めなきゃならないわけですが、
それを外に求めても、環境は常に変化するのが真理ですから、
うまくいきません。
一時的にうまくいってもまた変わってしまいますからねー。

そして、うまくいかないからツラかったりするんです。

いくらお金を持ったとしても、十分とは思えなかったり、減るのが怖かったり、
お金を持った途端、次は身体の調子の方が気になったり、人への不信感が募ったり、
人間関係が気になったり、年が気になったりしてねー。

果てがないわけです。

 

自己肯定感。
これが満たされているかどうか?の条件は、
決まった基準があるわけじゃありません。

この基準は、個々人が勝手に決めていることです。

貧しい暮らしをしていながらも、キラキラとして笑顔の人がいる反面、
お金持ちなのに、ツラそうにしてる人がいるのもその理由からなんです。

ですが、個々人が決めた基準とか言われても、
そんな基準を決めた覚えって無いですよねー。
なぜなら、この基準って無意識のうちに抱え込んだものだからなんですねー。

そして、こういった基準を持ってしまう原因の根本には、
分離の観念というものが関係しています。

この分離が比較や判断を生じさせておるというわけです。


なんだーそれだけのことかい。
単なる観念なら別にいいじゃん♪
って腹落ちすれば、
判断や比較の思いが起ころうが、それほど深刻なことでもなくなるんですが、

そんなに簡単じゃないっ!って思う場合はねー。

自己が肯定されるためのハードルを思いっきり下げる練習をしてみればいいと思うんです。
下げるどころか、もうハードルを地中に埋めてやるっ!くらい徹底的にねー。

つまりは、自己を肯定するのに条件をつけない!ということです。

「なんで、オレ様の存在が条件に左右される必要があるんじゃい!」
「条件をつける以前から、ワシはすでに生きてるんじゃいっ!」

ってことですからねー。
あなた自信のほうが条件よりも大先輩なんです。
なんで後輩の条件という枠にはめ込まれなきゃならんのか!
って話ですからねー。

なので、条件によって自分を値踏みする必要なんて全くないんですよね。
それに条件には本来価値はありません。

だから堂々と無条件に自己を肯定すれば良いんです。
それが最上級の自己肯定なんですよねー。

なにやらすごそうな肩書なり、持ち物なり、見た目なり、才能なりで自己肯定をしてる場合っていうのは、
砂上の楼閣を頼りにしているようなものなんです。

つまり、このまんまで私は完璧なんだー!
ということです。

これは目標や目的をなくすということじゃありません。
やってみたいことにガンガンと挑戦すれば良いんです。

このまんまで完璧なんだー!っていうのは、
最初は難しく感じるかもしれません。

寝る前はそう思えても、朝になったらまたいろんな問題が襲いかかってくるかもしれません。
でも、めげずに完璧なんだー!を取り戻す練習をしてみたら良いと思います。

そもそも、すでに生きてるのに、その生命に条件をつけるなんておかしな話なんですからねー。

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