Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

原罪

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「僕らは生まれた時がいっちばんストレスフルな体験なんだー」
ってねー、
聞いたことがあります。
どっかのエライさんがゆーてはったんですけどね。


でもまぁ、そりゃそうですよね。


お腹の中にいた時は、今まで、なーんにもしなくとも、
それこそ息すらしなくても良いっていう環境からポーンと外にほうりだされるんですからねぇ。
しかもね、生まれ出る時って、身体的にもかなり負担を負うんですよね。
もうねぇ、頭の骨をね、にょーんって変形させて出てくるんですよ。
なので生まれたての赤ちゃんって、頭がにょーんって骨ごと伸びてるんですよね。
まさに命がけって感じですよね。

さらにですよ!
赤ちゃんは生まれ出た途端すぐに死にかけるんです。
いきなり窒息しそうになるんですよね。

今までは呼吸をしなくても酸素が供給されてたわけですが、それが急になくなるわけですから。
僕らにしたら、いきなり首根っこ掴まれて、水に顔を突っ込まれるようなもんです。
そこで、オギャーって泣いて気道を確保するんですねー。
そこでやっと呼吸が出来るようになるわけです。

 

これね。
結構なトラウマだと思うんですよね。

今まではなーんにもしなくても、栄養が与えられてスクスクと育っていたのに、
急に環境が変わり、体に大きな負担をかけながら出てきたと思ったら、
急に窒息しそうになり、
それからは、栄養だって思い通りに与えられなくなるわけです。
なんとか声を出して、泣いてみて、やっとお母さんからミルクが貰える訳ですからねー。

オシッコしたなら、なんか股が蒸れてきて痒くなるし、
カリカリカリーって掻きたいけれど、上手くいかないし、
もう踏んだり蹴ったりです。

そして、ここで、身体の分離というものを嫌という程経験させられる訳ですねー。

僕らが生れながらに持っていると言われている原罪。

それは、本来、分離がない命が、身体の感覚という機能に意識が集中することによって起こる最初の分離感によって生じる誤解なのかもしれませんね。

身体の感覚があまりに身近なので、そこに自分という主体を投影するんですよねー。
最初は単に身体の感覚を感じているだけなんですが、
言葉を覚えることによって、ここに、自分とその他という概念を植え付けていくんです。
そしてその概念をさらに強化するストーリーを手に入れて行くことになる訳ですねー。

原罪とは生まれつきに人が持つ罪だと言われています。
罪の本来の意味は、「的外れ」という意味だそうです。
僕らは別に許されない罪を背負って生まれてきてるわけじゃありません。
単に何かを掴み取ることによって、その他を見過ごしているだけなんです。

ぼく、この原罪の話はこのブログでも結構よく書いてるんですけど、
それはなぜか?って言いますとね。

先生とか教祖的な人が、生徒に向かって、
君はまだ修行が足りない。
あなたはカルマを背負って生まれてきている。
みたいなことを言う言い回しがねー。
ちょっとどうかと思うんです。

だって、ウソだし。
そうやって、生徒はまだ足りないということによって、
暗に先生である私は貴方より優れている。
みたいな意味も付け加えられちゃってるわけですからねぇ。
そんなん、ウソですし。
自分に依存してもらおう、依存させようっていう思いを持ってるアンタの方が、
よっぽどイケてないやん!って事ですのでねー。


原罪とは、知らず知らずの内に掴んでしまった勘違いだというわけです。
別に何かが足りないわけじゃありませんし、修行が足りないということでもありません。
なぜその勘違いを掴み取ったのかというと、
それは、あなたが物凄く頑張ったからなんです。

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