Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思考の執着からの目覚め。

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なんで冷たいんだ??
なんかポツポツと頭の上から冷たさを感じるぞ!
なぜだ?どうして冷たいんだー、、
ってね。

雨降り模様の空の下でそう思い悩んでも仕方のないことですよねぇ。
そんな時は、
「あー、雨が降ってるのか。」
とこの空模様を理解し、傘をさせば良いんです。

「なぜ今日に限って雨が降らなきゃならないんだ。」
「何か悪いことでもしたのか?私は...」
って考え込んでも意味のないことですもんねぇ。

「あぁ、雨が降ってるんだな。」と理解すればそれで終了です。
あとはできることがあるなら、それをすれば良いんですもんね。

傘があるならさせば良いし、
無いなら雨宿りをすれば良い。
たまには濡れても、それもまた良しです。

「なんで今日に限って…」
と考えてもそれは無意味ですからねー。

 

これ、思考にしたって同じことです。

「何でこうなった!」
「なぜ私だけがこんなことに!!」

って、いつまでも考えたって無意味ですもんねー。
出来ることがあるなら、それをすれば良い。
出来ないなら、出来ない。

それ以上の考えは必要ないですもんねー。

思考にあえて範囲を設けるとすると、
私範囲の思考と他人範囲の思考。
そして、大自然の範疇の思考。


簡単に言うと、自分ごとと他人事、それいがい自然が起こしてることですねー。

僕らが思考を見つめて何とか出来るのは、この中の私範囲の思考だけなんですよね。

私範囲の思考というのは、
思考の奥に、私はこう感じているんだ。
といった感情があります。
その感情を見つけてあげたら良いんです。
見つけて、単に納得したらそれで終わりです。

他人範囲というのは、要するに他人のことをコントロールしようとする思考のことです。
「あの人はもっとこういう態度をとるべきだ」
「なぜあの人はああ言った考え方をするのか?」

と言ったような思考です。

これは考えても詮無いことです。
もちろん、思うことを伝えるのは構わないですが、それでその人がどうするかはわかりませんし、それは自分がコントロールすることじゃありませんからね。

その思考を巡らせても、延々と思考が巡るだけでしんどさが募るだけなんです。

私範囲の中で、
「あの人の態度で私は悲しく思ってたんだ。」
って確かめてみたら良いんです。
そして、伝えたかったなら、
あんたの態度がー!!って言うよりは、
私は悲しく感じたっぽいんですけどー。
って伝えれば良いんですよね。

大自然の範疇の思考というのは、
「こんな異常気象が続くべきではない!」
「なぜ、こんなに争いが絶えないんだ!」
「こんな運命受け入れたくない!」
といったような思考です。

これもコントロールしようのない思考ですので、そこで思考が巡っていると、
苦悩が増してきます。

私範囲にその思考を戻してあげて、
ああ、私はこう感じているんだ。とその感情を単にみてあげたら良いんです。

もちろん、私と他人、そして大自然や運命といった分離が実際にあるわけじゃありません。
ただ、思考内で分離が起きていると、私範囲を超えた領域で思考が巡ったりするんです。

思考は、私範囲の思考だけにして、
出来ることは淡々とやればいいだけです。
それ以外の範疇の思考や、出来ないことに関して、
「出来るべき!やるべき!」と言ったような思考はスルーするようにしてあげるようにすると、随分いろんなことが楽になってきます。

思考ってそもそも感情の反応をストーリー仕立てにしてるだけなんですよね。
そして、感情の反応には、そもそも良し悪しは無いんです。

そのあたりが明らかになってくると、もしかしたら、
あ!そもそも範囲なんて無いんじゃーん!
ってね、そんな分離のなさにも目覚めるかもです。

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