Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

単に在る。でっ?その次は??

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ただ単にココに在る。
そんなココにただ居てみる。


するとねぇ。
リラックスは出来てくるんですけどね。
リラックスできたらできたで、

「はい!居てみましたよ!次はどうすれば良いのん?」
って思いが湧いてきたりするんですよね。

そんな思いも置いておいて、単にリラックスしてますと、
確かに楽になってくるんです。
するとねー。
「うんオッケー!楽になってきた!じゃ、次は?」
って思いが湧いてきたりします。

そんな思いも置いておいて、続けてリラックスしてますと、


「で?」
「これがなんだっていうの??」

ってねー。
そんな思いも湧いてきたりするもんです。

 

この思いなんです。
コイツなんです。
コイツを満足させようと僕らは右往左往しておったんです。

この思いの奥にある衝動。
コイツが探求のエネルギーやったというわけなんですねー。
僕らはなんとかこのエネルギーの要求に応えよう応えようとしていたんですねー。
それがいつしか大目標、大前提になっていたんです。

この衝動に応えられると、その瞬間、この衝動は収まります。
すると、楽になるんですが、また次の衝動が出てくるんですよね。
そしてまた、この衝動を抑える答えを探し求めるんです。

この時、
衝動に応えたから楽になった。
といった公式が頭の中に出来上がっちゃうので、
益々、この衝動にとらわれる事になったりしがちなんですが、
実は、この衝動を相手にしていない時が楽だったというわけなんですね。

とらわれている間は、この衝動自身が自分だと思っていますので、
この衝動の答え探しが、自分のテーマである。
と思ったりしがちなんです。

なのでねー。
ちょっとリラックスする時間が取れたなら、リラックスをしてみて、
「で?次はどうしたら??」と言った思いがでてきたら、

「お!お前かー!」
と言った具合に、この思い自体も他人事のように一回見てやればいいんです。
「おまわりさん、コイツです。」
って突き出してやりましょう。

ま、そんな感じで、そんな思いから距離をとってみる。
その思いを置いておいてみる。
そして、置いておけることを確かめてみたらいいと思います。

置いておけるという事。
これが、この思いからの自由である。
つまり、この思いに必ずしも従わなくてよかったんじゃーん♪
っていう発見になるんです。

従わなくても従ってもいい。
どっちでもいい。という自由がねー。
深刻さからの目覚めとなってくるんです。

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