Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

手放すと楽になる。

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手放すとラクになります。
ラクは楽しい。
楽しいは幸せ!ってことですね。

でね。
そういうのを聞くと、でもそんなの面白くないじゃない!
って思ったり、
全てに無関心になるってこと?
そんなの生きる屍じゃん!って思ったりすることもあるかもしれませんけどねー

んなわけあるかい!
ってことなんです。

手放すっていうのはね。
持ってるのがしんどいときにそうすりゃ良いので、
別にしんどくても持ってても良いし、
ほーんとにどっちでも良いんです。

でね。
手放すと楽しいとか言いますけど、
私は何かをゲットした時の方が楽しくて幸せなんですけど。。。

ってねー。
そう思うかもしれません。
もちろんそういう場合もあるんでしょうけど、

その時の楽しさってね。
単なるポイントゲットー!的な面白さのパターンもあれば、
実はゲットしたことで、手放した。
そして手放せたから楽になった。
というパターンもあると思うんですよね。

ゲットして失った?
それってどゆこと??
と言いますと、

これは、何かを得ることによって、
欲しぃぃぃぃ!っていう思いが手放されたということなんです。

この欲しい!という思いにね。
何か強い観念が引っ付くと、無いという現実がとってもつらくなってくるんですよね。

例えば、こういったものは持っておかなきゃ恥ずかしい。
とか、
大体、こういう状態でなきゃダメだ。

みたいなね。
これらは単なる観念なんですが、この観念が強いほど、
現実感が増しますので、その観念に沿ってなければ現実はツライということになります。
また、ちゃんと持ってても、今度は失う不安を感じることになるんです。

はたまた、買い物依存症みたいな症状もね。
ものが欲しいんじゃなくて、
欲しいという執着が手放された時の快感。
この快感に対して執着しちゃってるので、この快感を何度も味わおうとしちゃうんですよねー。

本当に欲しいのはその快感なので、買ったものに対しては途端に興味が薄れちゃったりするわけです。
下手したら、同じものを買ってたりねー。

だた困ったことに自我ちゃんは基本、掴んでるものしか見えませんし、
掴んでるものがなければ自我も保てません。

なので、常に何かを掴もうとするわけですねー。

なので、一つ手放すと、ハイ次!ってなるわけです。
これだと常に足りない!に支配されっぱなしになっちゃうんです。

なので、たまには手放した後の何にもなさに浸りまくってみたらいいんですよ。

すると、常に何かを掴んでなきゃならない!なーんてことはないんだー!
っていうことにも気付けてきます。

すると、足りないに支配されずに、何かを掴んで遊ぶこともできるというわけです。