Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

非二元の話は信じなくても良いかもよ。

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非二元の話ってね。
理屈じゃないんですよね。
むしろ逆で、理屈に縛られんでもやっていけるで。
っていう話なんです。

だから、それを理屈で捉えようとすればするほどよくわからんことになってくるんです。

僕らって普段は何かしらの理屈をもってないと、世界が把握できなくなるってちょっと思い込みすぎてる節があるんですよねー。
理屈なしじゃ何にも始まらないのではないか?
なーんてね。
でね。
いや、そーでもないで。大丈夫やで。
そもそも僕らはなーんにもコントロールしてませんし。
っていう話なんです。

 

で、
この非二元の話を理屈で捉えようとしちゃうと、しんどくなったりする場合もあるんです。

たとえば、今書いた、誰もコントロールしてませんよ。
っていう部分とかね。

それを理屈にしちゃうと、どうせコントロールしてないってことは勝手に思考がやってくるんだし、何もすることねーやー。
と言いつつも、どこか悲観的な思いに苦しくなったり、
はたまた、どこかでワクワクを求めてたりしつつも、ああ、また何かを求めてしまったと自分を責めたり、、、。

僕らがしんどい時とか苦を感じることの一つに、抵抗っていうのがあるんですよね。
抵抗とは、自然に湧き上がる流れを抑え込もうとしちゃうってことです。

別に抵抗しようがしまいが、流れは流れ通りに流れるんですけどね。
でも、抵抗している間はそこに苦を感じるんです。

でね。この抵抗感ってね。
悪いものじゃないんですよ。むしろチャンスなんです。
別の言い方をすればサインでもあるし、恩寵なんです。

せっかくこの恩寵が起こってるのに、
「誰もコントロールしてねーし。。。」
ってね。それを見ようとせずにいると、いつまでたっても悶々とした苦をどこかに抱え込んだままになっちゃいます。

ま、なんで苦が恩寵やねん!という話をする前に、
苦っていうのは流れを抑え込もうとする時に感じる抵抗だと言いましたが、
これ、例えて見るなら、
ものすごくでっかい大河に手を突っ込んで水をせき止めようとしている感覚に似てるんです。
もちろん例え話ですけどね。
その時、手に水の圧を感じるじゃないですか。
この圧の感覚がね。
いわゆる苦なんです。

でね。
僕らって、この圧は感じてても、実際流れに向かって手を突っ込んでるなんてことには気づいていないんですよね。

でも、流れの中に手を突っ込んでる部分だけを見てたりするんです。
手を突っ込んだ部分だけにフォーカスしてると、その部分だけは、水がせき止められてるように見えるんですね。
そしてそれが全てに見えちゃうんです。

何かをつかもう!つかもう!とする動きもそれに似ています。
流れの中に手を入れて、力強くつかもうとすればするほど、手の中から水はこぼれ落ちるんです。
ぎゅっと手を握ったら手の中には水は残りませんよね。
でもつかもうという思いが強いと、力強く掴んでないから水が逃げちゃうんだ!
みたいな誤解をしちゃうんですよねー。

ちなみに抵抗感を感じなくするには、この流れから手を離せば良いんですよね。
すると、今までフォーカスしていた目の前の流れも、うまく流れて言ってくれるんです。
そして、感じていた圧力も無くなります。

ただ、さっき書いたように僕らは手を入れてることに気づいてないんですよね。
そして、それに気づかせてくれるのが、サインであり、恩寵なんです。

つまり、抵抗感を感じるということは、流れに手を突っ込んでるっていうことなんですね。
そして、おい!おまえ手を突っ込んどるで!と教えてくれるサイン、恩寵がこの抵抗感となって教えてくれている。
ということでもあるんです。

僕らは何かしらの理由でそこに手を突っ込んで何かをつかもうとしてたわけです。
この理由の多くのパターンは、恐怖なんです。

ちなみに、手を離せば抵抗はなくなりますが、僕らはついつい手を突っ込んでつかもうとする習性も持ってたりするので、手放してもまた知らん間に手を突っ込んどるやん!ってなことを繰り返しちゃうんですけどね。
でも、じっと手の部分にフォーカスしていたことに気づいちゃうと、この流れは手の前だけに起こってたことじゃないことを知るんです。
この流れは無限に広がる大河の流れだったんですよねー。
そうすると、この抵抗感は以前と同じように圧を感じるんですが、なんていうか深刻な苦ではなくなってるんです。苦は苦かもしれないんですが、手を突っ込んでその感覚を遊んでるだけってことになるんです。
手を突っ込んでるところでは、流れが停滞してるように見えますが、全体としてはなんの影響も受けてないことがもうバレてるって感じでしょうか?

ボートで遊びながら、水に手をつけて見る。
みたいなかんじでね。

ちょっと例えが下手ですけどね。

だから、本当に、手を突っ込んでようがどうだろうが、どっちでも全然オッケーなんですが、そのオッケーさを聞いて信じようとしても違いますし、
聞いた話を理屈にしちゃって納得しようとしてもあまり意味がないんですよねー。
この抵抗感はオッケーなんだ!と理屈で流れの圧に対抗しようとしてる。
みたいなねー。
なんかそんな本末転倒さを演じたりもしちゃうんですよね。

そんな時は、この抵抗感を恩寵としてとらえて、どこに抵抗感を感じてるのかを探って見ると良いかもしれません。
すると、どんな思い込みを持ち込んでるのか?が見えてきますのでね。
それが見えたら、いっかい手を離して見たらええねーん。ということなんです。
手を離して、目の前のフォーカスが外れると、自然と視野が広がり、顔をあげて見るとそこに広がるのは、境界のない大きな大河の流れなんです。

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