Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

想念は何も持ってきてくれませんよーん。

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想念はね。
実際に何かをしてくれたりする訳じゃないんですよね。
想念は想念、つまりイメージなんです。

なので、
私はなぜまだ「それ」を発見できないんでしょう?

って思うのなら、
それは、単に

私はなぜまだ「それ」を発見できないんでしょう?

っていう想念を持っているだけー。
ってことになります。

そして僕らって、この想念を現実として扱ってるんですよね。

 

こう言った想念をね。
現実として見ている場合は、想念を変えれば、現実も変わったように見えるんです。

それをいい方に変えれば、良い現実になりますが、
結局想念に囚われてることには変わりがないので、
想念に右往左往することにもなっちゃいがちだったりするんですよねー。


でね。
「ええ?想念って、幻想なの?」
っていうことに気づいちゃうと、

今まで見てた現実って、想念と一緒じゃーん♪
現実って想念そのものだったんじゃーん♪ってことにも気づいちゃうわけです。

現実を形作ってきていた、起こってることが変わる訳じゃなく、そこに付け加えられたあらゆるレッテルがイメージだということが、まさに明らかになるんですねー。

でもたまに、一瞬そう言った気づきがあった場合、
いわゆる一瞥体験をした後とかにありがちなのが、
「真実のまま生きなきゃならない!」
って思っちゃうことだったりするんですがね、
これもまた、真実を想念の中に持ち込んだだけの話になりますからねー。

そーゆーことじゃないんです。
何をやっても真実からは逃れられませんのでね。
もうすでに真実ですし。

僕らは自分の体験は真実として受け止めていたりする訳ですが、
もう過ぎた時点でその体験はありませんので、それを持っておくこともできないんですよね。

その体験を真実として想念の中に持ってきちゃうと、真実とニセモノみたいに別れちゃうんです。解釈としてね。

なのでね。

いわゆる悟りの体験とか、一瞥の体験とか、、、
そういった体験も忘れちゃったほうがいいんです。
ま、忘れるのは無理でもあまり気にしないほうがいいんですよねー。

体験を持ってる時点で、その持ってる体験はもう想念でしかない。
言い換えると幻想でしかないものになってしまってますのでね。

そんな想念の中に真実がある訳じゃないんですよねん♪

ま、気にすんなと言われてもきになるがな!っていうのが人のサガではございますので、
そんな時は、私ってば、そうやって気にしちゃったりしてるんだー。

ってな具合にね。
気になってる様を見てあげたらいいんです。

すると、想念の居場所は無くなってくるんです。

そしてこの気になる感じ。
この感じこそが、執着なんですよねん。

気になる感じにどうにもペタッと引っ付かせる引力的なものです。

見てあげることで、その引力は、
シールを貼ったり剥がしたりを繰り返すように、
粘着力が弱まっていくんです。

想念を幻想だとしちゃったなら、現実が色褪せて、
目指す方向性が失われるような感覚を感じちゃったりすることもあるかもしれません。

それもまた、引力、すなわち執着への依存がそうさせてるだけなんです。

その依存から自由になってくると、こういった「現実が色あせた〜」みたいな心配も杞憂なんだーって気づくんです。

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