Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

もう既に、好きなことだけして生きている。

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好きなことだけして生きていくー!ってね、
なんかちょっと前のYouTubeのコマーシャルなんかでありましたが、

結局のところ、もう既にみーんな好きなことして生きてるんですよねー。
なので、片意地はって
「好きなことだけするのー!」
なんてやらなくても良いんです。

もうやってます。

でも、
いや、そんな事はない。
そんなはずはなーい!
って思ったりもしますよねー。

これね。
一つは恐怖。
そしてもう一つは習慣が原因になってるかも知れないんです。

今日はそんなことについて書いてみたいと思います。

 

僕らは、習慣化っていう便利な機能を持っています。

なんらかの危険な目にあったら、今度はそれを避けなきゃならないわけですが、
そう言った危険を避けるような思考を繰り返しているとそれが習慣化されるっていうわけです。

これは危険なことに限らず、普段のルーチン的な行動についても起こります。

でね。僕らって習慣化されたものから外れるのって、怖いんですよね。
未知ですので。

「その企画。前例はあるのかね??」
「いえ、、、ありませんが、新しい企画を考えろとおっしゃったのは部長じゃありませんか!」
「前例のない企画でもしコケたらどう責任を取るのかねーー!」

なーんてありがちな会話もね。
そう言った未知について、リスクを感じるからこそ起こる会話だったりするんですが、
これもリスクに対する恐怖っていうことなんですねー。

そして、その恐怖があるということは、なんら悪いことではありません。
あって当然のものですのでね。

その恐怖をなんとか克服してみよう!
って、頑張るのも勇気を出すのも良いかも知れませんが、
くはーっ!やっぱり怖いわぁーって思ったりしますもんねー。

でも、その恐怖がいかにもウソやとわかっちゃったら、
その怖さって無くなりますよねぇ。

なので、その恐怖の幻想さを見抜いちゃうのもアリかもしれません。

やりたいのの出来ない。
やめたいけどやめられない。
やりたいことやるにはやめなきゃならないんだけど、やめるのは怖い。

とかね。
色々と葛藤が起こってくるわけですが、
出来ない理由は恐怖があったりするからです。

でもね。
恐怖はあって良いんです。それどころか、なきゃ困ります。
この機能がないと、車の行き来が激しい道路だってフラーって飛び出しちゃいますもんねぇ。
これだと困るわけです。

変な話、恐怖はあって良いものだ。なきゃ困るものだ!っていうことを納得しちゃうと、
恐怖は恐怖では無くなったりするんですが、まあその話は置いておいて、

あっていいものだと言ったものの、
習慣化によってもう不必要になってる恐怖も、その習慣の陰に隠れて依然残っている。
なんてパターンもありますのでねー。
その場合は、もうその恐怖はなくても大丈夫なんです。
そんな場合は、不必要な恐怖を見つけるのは役にたつかもしれません。

なので、一体どんな恐怖があるんじゃい!
っていうところを見てあげれば良いんですが、
見てあげるってことは、恐怖と対峙しなきゃならないですからねー。

「でもぉー、恐怖と対峙するのは怖いわぁー。」
って思ったりするかもしれません。

そんな場合はね。恐怖じゃなくてメリットの方を見てみるのもアリなんです。

メリットというのは、やらなきゃならん!って思っている自分の働きについてのメリットです。
このメリットの裏返しが恐怖ってことになりますのでね。

そして、そのメリットが、いや、もうそれいらんでー。
っていうことが見えた時に、その裏側にある恐怖も無くなるんです。

なので、出来ない。やらないことでワシはどんなメリットがあると思ってるんだろう??
ってね。ちょっとその働きに聞いて見たら良いんです。

根掘り葉掘りね。

で、いやー。もうこのメリットいらんわ。
ってなったなら、その裏側にある恐怖も無くなります。

まだまだ、必要やで!って思うならそれはそれで、もう好きなことをやってることになりますので、これで良いのだ!ってことになりますので、めでたしめでたしというわけです。

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