Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

地図が読めない男??女??地図なんておいておけばええんじゃいっ!

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はいどーもー!
地図の読めない男!タクさんです。

みなさんはどんな地図ライフをお送りでしょうか?

僕はといえば、グーグルストリートビューで昔住んでたところなんかを探索したりして楽しんでます。

グーグルマップは良いですね!
自分がどっち向いとるねん!がとってもよくわかりますので。
これがないと、方向音痴の僕はもうどこがどこだかサッパリになります。

 

さて、
今からめっちゃ当たり前のことを言いますよ〜。

僕らって地図を見て道を歩いてる時ってね。
地図の上を歩いてるわけじゃありませんよねー。
もちろんのことながらね。

そして、地図に載ってる道は、道じゃないですよね。
地図に載ってる道は単なる線ですが、実際の道には花も生えてたり、石も転がったりしてるわけですしね。

ではそんな道で、一度足を止めて見たら、何が起こってるでしょうか?
空気の暖かさが肌に感じられ、
風が頬を撫でてきて、
そして、足には道路の硬さが感じられ、
見上げると、青い空が一面に拡がっているのを感じられるかもしれません。

この今感じている様々な感覚。
さらにその感覚には、本来、名前もありませんよね。
あるのは、ただその感覚と一緒になっているそれそのもの。
これこそがリアルなんですもんねぇ。

ここをまっすぐいったらコンビニがあってーそこを右に曲がったら道がカーブしててー。とかいうのは地図の中にしかない幻想なんですよね。
もっというと、地図を見て頭の中に描いたイメージですからねん。

そしてその地図の中にのめり込めばのめり込むほど、ここにあるリアルがおざなりになっちゃうわけです。

するとどうしても、地図上にリアルを求めちゃったりするんですよねー?
コンビニはどこにあるんやろう?
とかいってね。

こっちの道よりもあっちの道の方が良さそうだ。
みたいなこと。
これってある種の指針な訳ですが、
それは観念をもとにしたコンパスのようなものでして、このコンパスはより良い方向を向いていてくれなきゃ困るわけです。
そのためにコンパスの元となる観念をより精査しより良い観念を求め続けるという
わけです。

つまりは、地図の上であっちかな?こっちかな?と思考を巡らせてるだけだったりするわけです。

そんな時でも、リアルはちゃんとここにあるわけなんですけどね。

人生の方向性という地図作りももしかしたら、リアルじゃないイメージばっかりをみることになってしまいかねませんよねー。
一度、地図を閉じて、パッと空を見上げた時、
目の前には地図ではなくリアルが広がるんです。

このリアルには、あれこれと付け加えなきゃならない余地っていうのは、
実はなかったんですよねー。

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