Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

理由からの解放

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おはようございます。
朝だけ家の階段の上り下りが辛いタクさんです。
みなさん素敵な階段ライフをお過ごしでしょうか?

さてさて、
全てには理由があるように見えるじゃないですかぁ。

理由があると思うので、当然理由を探りますよね。
で、どんなものにも、理由って結構見つかったりします。

風は気圧の関係で吹いて、その気圧の関連性で天気がかわって、
全てのものは原子で出来てて、その原子は素粒子で出来ていて、
その素粒子は物質ではなくエネルギー的な働きであるから、
全ての物質はエネルギーであって、、、

とかね。

 

ものから手を離すと落ちるのは引力があるからで、
引力のせいで海は月の引力に引かれて満潮になり、
ってねぇ。

もうどんなことでもワタクシ、理由がお答えいたします!
てな具合で、どんなことにも理由がつくように見えますよね。

そして理由があるから、当然結果も見えてくるわけでして、
全ては、原因と結果で成り立っているように見えます。

一見ね。

でもこの理由さんは肝心な部分については、
一切答えてくれないんですよね。

なぜ?人は生まれ死んでいくのか?
私はなぜ?ここにいるのか?

そして、なんのために生きているのか?

とか、

物質がこうやって出来ていることはわかったけど、
じゃあなんで出来てるのよ?

って言うことのようなそもそものことには
全然こたえてくれないんですよねー。

今まで散々、理由があらゆることを解明してくれたのに、
肝心なことの理由になると、いきなり口をつぐむ。
みたいなね。

時間はあらゆる現象の始まりと終わりを指し示してくれますが、
じゃあ、時間自体が生まれたのはいつなのよ?
って言われたら、
いきなり無視される。

みたいなねー。

そもそもね。
理由っていうものがなかったとしたらどうでしょう?
理由がないから時間ももちろんありません。

そもそも、無いものに縛られてたってことなんです。

理由があると思ってたから、逆に全てが分離して見えてただけで、
その理由というフィルターを取っ払っちゃうと、
すでにあった完全性が蘇るんです。


そして、絶対にあると思っていた理由ってないし、なくても全然平気なんじゃーんってね。
この理由という鎖から解き放たれたとき、
なかったものに縛られてたという滑稽さに気づくんんです。

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