Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

カリモノ

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こないだも書いたかもしれませんけど、
最近、僕、引越ししましてね。
その引越しで結構お金がかかったのが、モノを捨てる費用だったんですよねー。

ま、捨てる量も相当だったんですが、結局、十数万掛かりました。

もうね。
モノを買う時は捨てる時のことも考えなきゃ!って思いますよねー。
買うコストだけじゃなく捨てる時のコストもねー。
いつまでも使えるものなんてありゃしませんので、
なんていうか、モノをランニングコストで考えるようになってきました。

この冷蔵庫は15万だけど、10年でダメになると考えると、月に千円ちょっとかー。
みたいなね。

そうそう、
僕、今年に入ってから、服もレンタルなんですよ。
毎月、コーディネートしてくれた服を送ってくれるんです。
結構便利で気に入ってます。

 

まあ、モノも服も、
そやってランニングコストとして考えだしちゃうと、
なーんか、結局ぜーんぶ借り物なんだなー。
なーんて思いません?

これは永久に自分のモノ!って、ホント幻想だよねー。
なーんてね。

なにもかもが、期間限定で、使える権利として借りてるって感じですよねー。

身体だって、顔だって、日々変わっていくものですし、考えようによっちゃ借り物のようなものかもしれませんね。

そんな借り物の世界の中で、何かを手に入れようとしても、そりゃーずっとそれを手に入れる旅は終わらないんでしょうね。
手に入れた途端、もう失い始めてるんですからねぇ。

でも、
「わしゃー、この顔もこの体も選んで借りた覚えはない!」
なんて思われるかもしれません。

そりゃーそのはずで、

自分という主体としての感覚は、身体にくっついてきた様々な機能の一つですからねぇ。
「自分」は身体にくっついてくるオマケ機能の一つなんです。

なので、身体を借りる主体としての自分なんて最初からおらんわけなんです。

そして、何かを理解して整理整頓するという能力もまた、この身体についてきたオマケ機能の一つなんですねー。

ということは、
ホントにあるのは、身体を始め、ありとあらゆるものを生み出しているエネルギーだけなんじゃなかろうか?
そんな中、整理整頓機能で分類した世界だけを見てるだけで、
その機能が分離という概念で成り立ってるだけで、
本来は分離のないエネルギーだけが、
命の喜びを延々と表現しておるだけだったりして。

だとしたら、
ジェットコースターに乗ってる時はそのスピードを楽しみ、
観覧車に乗ってる時はその景色を楽しむように、、

今、目の前に広がる世界にノリノリに乗っかるしかないってことになるじゃーん。

っていうことなんです。

なので、もう自分で押さえつけたりしないで、遠慮なく調子にノっちゃってくださいねん。

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