Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

調子に乗ることは、素晴らしい!

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ぬわっはっはっは!

おはよございます。
お調子者のクセにちょっとシャイなタクさんです。

皆様はどんなお調子者ライフをエンジョイなさっておられますでしょうか?

さて、
この世はどんな世界なのかと言いますと、
それは、「好き」を持ち寄って、表現し合う場。

なんだと思うんですよね。

なので、遠慮なく「好き」を表現しまくって、
ノリノリでおったらいい!
って思うわけなんです。

 


ノリノリでおる。
ってどういうことなんや?
と言いますと、

簡単に言うと、

調子に乗っておったらいい!

と言うことですねー。

まあ僕は昔からお調子者でしたので、
学生時代なんかはよく、ヤンキーに

「調子にのるなよ!」
って絡まれました。

そんな時は、
「くはーっ!調子に乗ってたからえらい目にあった!」
なーんて思ったりもしたもんですが、

それだと、せっかくの「好き」を表現するこの場にいるんですから、

もったいないことですもんねー。

こんな時にねー。
ノリノリをやめちゃうと、
どこかで、調子にのることはダメ!みたいな観念を同時に握りしめちゃうんですよね。
そうなると、調子にのるという現象にたいして、
ダメだぞ!と言う思いと同時に、「良いなぁー楽しそうで、、、」
みたいな思いも出てきちゃったりしてねー。
「ズルいぞー!」なーんて思ったりもして。

で、やっぱり自分が正しくなきゃダメ。

なーんて自我ちゃんは思ってますので、

「調子にのるなよ!」って言う方に回って自分が正しいを証明したくなっちゃったりもしてねー。

それだと、いつまでたっても、ダメという思いに囚われたままになっちゃいますし、それでいて、ずっと誰かを羨ましいと思い続けるということになっちゃいます。

この世は「好き」を表現する場です。

これを抑え込もうとすると、そこで摩擦が起きます。

その摩擦が苦を生じさせるんです。

逆に自分の「好き」を素直に表現させていたのだとしたら、

他の誰かが調子に乗っていようが、何に乗ってようが気にならなくなります。

誰かのノリノリが気になるんだとしたら、

もしかしたら、ワシ、調子に乗り損ねてるのかも?

というサインかもしれませんので、さっさと調子に乗れば良いんです。

また、自分の「好き」が正しさに変わっちゃうと、

自分の「好き」を否定されちゃう事に対して、間違いという観念にすり替えられたりします。

そうなった場合は、自分の観念の中に敵を作ってしまったりするわけです。

「正しい」を否定するのはすなわち「間違っているんだー!」みたいにね。

そんな時も、正しさや誤りなんかも置いておいて、単に「好き」を表現すれば良いんですよねん。

調子に乗ろうがのるまいが、色々なことが起こります。

なんでも起こり得ますのでねー。

でも、それは調子に乗る乗らないとは関係ありませんのでね。

調子に乗ってたから失敗した。っていうのは、言いがかりのようなもんなんです。

そんなことで「好き」の表現を諦めちゃうと、途端に他の何かに囚われちゃいます。

「エヘヘ♪ウキウキしてたら失敗しちゃった!エヘヘおもしろーい♪」

ってアホのように振舞ってたら良いんです。

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