瞑想とか座禅とか。
そういったものは効果があるのか?
っていうことって僕もよく聞かれたりするんですね。
有名どころの人も瞑想をやってる人は多いですし、
実際僕も瞑想は結構やってたりしましたので、やはり瞑想をするのが一番近道なのでは?って思ったりするかもしれません。
実際、僕も瞑想はいいと思うんですよ。
瞑想自体になにかしらのパワーがあるのか?というとそういうのは無くてですね。
思考や感情を一旦置いておくのには、とっても良いと思います。
ただね。
ちょっと注意点もあるなーって思うんです。
僕らは、あまりにも何かの思考や感情に依存しすぎてきた。
ということがありましてね。
いつ何時もなにかしらの思考や感情。指針のようなものを掴まないとやってられない!
みたいなね。
そんな強力なクセがあったりするんですよね。
それはありとあらゆる世界の見方の土台となっているんです。
だから、その指針がないと世界を見失ってしまう。
といったような恐怖感も同時に持ってたりするんです。
この先、どうやって生きていったら良いんだろう?というのも、
なにかしらの指針を求めてたりするんですね。
こういった指針はいわば幻想のようなものなんですが、人間ってこの幻想を作り上げてその中にストーリーを作り上げるという本能を持ってたりするんです。
どんなストーリーでも間違っているわけでもないし、正しいわけでもないんですが、深くストーリーに埋没すればするほど、息苦しさを感じ、生きづらくなったりもするわけなんですよねー。
でね。
ちょっと良くある誤解としては、
僕がいってる話ってね。
思考や感情をいっさい起こらないようする。
起こったとしても、常にそれを置いておけるような自分になる!
っていう話とは違うんですよねー。
そうじゃなくて、
僕らが持ってる、指針を掴もうとするクセ。
このクセに気づいちゃいましょうねー。
って話なんです。
で、キモは気づくだけでそれ以上は別に関わらないって感じです。
気づいたからそのクセを治そうとしたり何とかしようとはしないって感じなんです。
で、このクセに気づく一つのコツとして、思考や感情を一旦置いておいてみる。
というのはあるにはあるんですけど、常においておく状態を保たなきゃならない!
っていうのとも違うんです。
それだと、思考や感情を置いておくべし!っていう指針を思いっきり掴んじゃってることになりますのでねー。
だから、厳密にいうと、思考や感情を置いておくのと「それ」とは関係なかったりするんです。
単にクセに気づいちゃえば、別に思考まみれだろうが感情まみれだろうが、それは毒にはなりませんし、それはそれで素晴らしい!って感じになりますのでねー。
でね。
その思考や感情を一旦置いておくメソッドとしての数多くある中の一つが、
瞑想だったりするわけなんです。
瞑想って別に、大げさなものじゃなくて、リラックスをして座る。
それだけのことなんですよね。
立ってても良いんですが、それだとリラックスできづらいので座るってだけでね。
こなれてくると、別に座らなくても目をつぶらなくても、街の喧騒の中にいても、ゆったりとリラックスをすることはできるんですけどねー。
慣れないうちだけ、静かな場所で目を閉じて座ったりするわけです。
ただし、ここで言ってるキモは掴み取った指針に逆に支配されちゃって窮屈になっちゃうってことに気づくことで、自分が握ってる指針から自由になるっていう話ですのでねー。
思考や感情を置いておくべしという指針をもちましょうって話ではありません。
なんかややこしいんですけどね。
まあ、最初は慣れないから習ったほうがいいかなーって思ったりもするわけですが、いざ瞑想や座禅を習おうとすると、それを教えるコミュニティによっては色々な指針があったりするんですよね。
宗教的な背景があったり、スピリチュアル的な背景があったりしてね。
で、そういうのがあると、せっかく指針を手放せたとしても、新しい指針を掴み直すだけになっちゃったりするパターンもあったりするわけです。
最初はその指針が目新しいのと、今まで握ってた指針から解放されたっていう解放感で楽しかったりするわけですが、いつのまにか新しく握りしめた指針に苦しくなっちゃったりしてね。
そして、これはやっぱり違うのではないだろうか?と新しい指針探しを延々と繰り返しちゃったりするパターンもあったりするわけです。
どんなパターンが悪いわけじゃなく、どんな指針が悪いわけでも無いんです。
なので、パターンをパターンとして遊べばそれでいいんですが、パターンがいつしか深刻になっていて、それにハマってると自分が窮屈に感じちゃったりするんです。
もちろん、窮屈でも別にいいんですけどね。許せてたら。
中には指針を手放せさせて、空っぽになった心に意図的に新たな指針を刷り込んで支配しようとするような怖いパターンもあったりするなんて話も聞いたりしますが、
いずれにせよ、指針は単なる指針。
ファッションのようなもので、それは自分を楽しむスパイスであって、主役ではないってことを知れば、ちゃんとパターンを遊ぶことができるんです。
遊んでるパターンは深刻になる以前に、手放されます。
ラマナマハリシさんというインドの先生は、
そういう、指針を手放してまた指針を掴んじゃうってことを、
「トゲを抜いて新たなトゲを刺すようなものだ。」
みたいな表現をしてたりするんですが、
もし、瞑想などを習いたいと思ったなら、
自分が何やら新しい指針に取り込まれやすいって自覚があるなら、
そういった色合いが少ない、自由な雰囲気のところを選んだらいいですし、
そうじゃ無いなら、いろんな指針を遊んでみればいいですし、おもろいことをいうおっさんやなぁーってな具合で先生やコミュニティの指針を聞いてればいいですし、
なんか、妙に人をコントロールしたがる先生だなぁ。。。と思ったなら、
さっさと距離を取ればいいと思うんです。
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