Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

反応への愛おしさ

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心と体って僕らは普段、別物として捉えてたりしますよネェ。
でも、これらって同じものなんですよね。

ま、もっというと、体も心も無いよねってことになっちゃうんですけど、、、。

今までも何度か、体と心って同じもんだよーって書いてたりしますが、
え??どーゆーこと??って聞かれることもよくあります。

まあこれって、
「これはカラダの〜。」とか、
「これはココロの〜。」って、
ルールに従って整理整頓してるから、分かれてるように見えるだけであって、
起こってるのは反応ですのでね。

僕らの体だって、例えば、指先にチクっとトゲが刺さったとしても、
その痛みは神経を通って脳で判断してたりしますのでねー。

指先が痛いんじゃないんですけどね。
まあ、指が痛いってことになってるわけです。

この神経伝達が、たまにバグって、
ほんとは内臓の調子が悪いのに、肩が痛かったり、背中が痛かったり、
歯が原因じゃないけど、歯が痛んだりなんてこともよくあるんですけどねー。

そうそう、
僕は以前、どうにも肋骨のあたりに経験したことのない痛みを感じてたことがありましてね。
「この痛みは初めて感じる痛みだ。何かしらの重病を患ってるのかもしれぬ!」
と思い、病院に相談に行ったんですよねー。

で、結局、湿布を処方されて終わっちゃいました。。。テヘッ♪

内科でシップもらったの初めて♪

ただの神経痛でした。

「先生!今まで経験したことのない痛みなんですけど!!!」
って、重病を告知されるのも覚悟の上で聞いたのに、、、。

「シップ出しときますね」とか言われちゃって、、、。

恥ずかしいですやんって話なんですけど。。。

 

ま、そんなわけで、あるのは反応だけだったりするんですけどね。
その反応に思考のストーリーが付け加わったりすると、そこで反応に架空の具体性が付け加わったりするわけです。

あいつがあんなこと言ったから、こんなに悲しいんだ!

みたいなね。

すると、あいつを正さなければならない!といった思いも湧いてきたりするわけです。

心の問題だと思ってたことも、このストーリーを一旦置いておくと、
お腹の方に感じる反応だったり、胸の奥に感じる反応だったりすることが発見できます。

心の問題に対処するひとつのコツは、
問題をストーリー上で解決しようとする前に、一旦ストーリーを置いておいて、
ただ、そこにある反応を探してみるのも一計です。

それがお腹の方に感じたり、胸の奥に感じたり、眉間のあたりにある違和感として感じたりするかもしれません。

そうしたら、その反応を思いっきり愛でながら撫でてあげるんです。

この反応に対する違和感が、危機感を生み出し、その危機感がストーリーを生み出したりしていた。
そーんな流れも見えてくるかもしれません。

そんな反応を、反応のまま愛でて受け入れてあげることで、反応の本来の愛らしさが姿を現してくれるんです。

そうしますとねー。
目の前に起こってる様々なこともまた、愛らしい反応のオーケストラとして起こってきてくれてるんやねーってね。

そんな中でリラックスしてて良いんやねーって許されちゃったりもするわけです。

何も付け加えないから、「なんでもないもの」になるんですけど、
そんな「なんでもないものがある」
そのこと自体の愛らしさに、「なんでもないもの」が気づくんです。

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