Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

恐怖はあっていいけど、無くても良い恐怖もある。

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うわぁぁぁぁぁ!

信号が赤だぁぁぁ!

向こう側にわたりたいのに、、、

これじゃぁ、、、これじゃあ渡れないじゃないかぁぁぁ!

どうして信号は赤になるんだ!
僕は赤は見たくないんだ!
常に青であるためにはどうすれば良いんだ???

目を閉じればいいのか?
そうすれば、信号は赤でも青でもないので、いつでも好きに渡れるというのか???

・・・

ってねぇ。
何を信号で大騒ぎしておるのか?
って話なんですけどね。

 

青になったら渡ればいいやん♪
ってことなんですけど。

確かに、目をつぶってたら赤か青かはわからないので、
渡れますし、車が走ってなかったら、はねられることもないでしょう。

オレ、赤でも渡っちゃったぜ!
って人もおられるかもしれません。

うん。車が来てなかったら、それでもいいですよね。

実は恐怖もこれと似てるんですよね。

恐怖っていうのは、信号のようなモノです。
過去の経験や、習慣化された行動から外れる場合に信号がともるわけですね。

それで、このまえ怪我したで!
とか、
これは初めてやることやで!
とかね。
教えてくれて注意喚起をしてくれるわけです。

なので、無きゃ困るんですよね。
じゃないと、大けがします。

わお!何てキレイなのかしらー!とか言って、
火の中に手を入れかねません。

恐怖は別に消し去らなきゃなら無いモノじゃなくて、
役に立つものなんです。

ただ、ちょっとやっかいなことがあるんですよねー。

例えば、恐怖を信号で例えますと、
田舎町で全然車なんか通ってない道の信号。
みたいなものでしてね。

全く車なんて来ていないのは明白なのに赤信号がともっちゃう。
なんてことがあるわけです。

また、もうここは道ではなくなったので、車は通らなくなったとしても
信号だけが残ってる。なんてパターンもあります。

あとは、信号が青になってるのに、
「でも、また赤になるんでしょう???」となってない赤を怖がる。
なんてパターンもあったりするんです。

そういった恐怖についてはねー。
もう不要なものですので、手放せばいいんです。

ただ、ありとあらゆる恐怖を取り除かなければならないっ!って躍起になる必要も無くてねー。
全ての恐怖を取り除かなければならないといったことではないんですよねー。

でもって、怖がるものでもないんです。
だって信号だから。

そしてその信号は、自身を守ろうとしてくれてる愛らしい働きでもありますのでねん。

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