Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

考えないという自由と解放

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おはようございます。
タクさんです。

とある記事で狼に育てられた人の記事を読んだんですけどねー。
面白かったです。

コレです。
http://tocana.jp/2018/04/post_16718_entry.html

7歳の頃から12年間、狼とともに生活をしていたらしいのですが、
人に保護されてからも、なかなか人間社会に馴染むのが難しく、
今もまだ、狼といた頃が1番輝いていた。とおっしゃってるそうです。

狼はどれが食べられるかを教えてくれて、兄弟も差別なく受け入れてくれたんだそうです。

ボールじゃなく、岩でサッカーをするのがとっても楽しかったんだとか。

狼と出会ったきっかけについては、人間の言葉ではどうしても説明できず、
保護された時は唸り声をあげていたんだそうです。

人間社会に戻ってきても、なかなか道路をまっすぐ歩くこともできず、ふらふらと歩いてしまったして、なかなか、人のルールを覚えるのに苦労したんだとか。

また、彼を馬鹿にする人も後を絶たず、
そんな時、お医者さんは彼に、
「あなたを無知だと決めつけて笑う人たちは、間違っているんだよ。むしろ、あなたのほうが僕たちよりも広い世界を知っているんだ」
と励ましたんだそうです。

 

でね。
僕もこのお医者さんの言うことはホントその通りだよねー。
って思ったんですよねー。

僕らはありとあらゆるルールを作ってその中で生活しています。
それは道はまっすぐ歩くものということから、
家は扉をあけて入る。窓はいりぐちじゃない!というところや、
モノはお金で買う。みたいなところまで、、、。
何から何までルール化されていて、
それを知らない人を無知と笑う。
みたいなねー。

でも、そのルールにどっぷりと浸っちゃって、
本来の自然を忘れて無知になってるのは、むしろ人間の方なんじゃなかろうか?
なんて思っちゃいますよね。

ありとあらゆることを考えなくてはならず、
考えるためにスキルを上げなければならず、
より良くなるために、より進歩するために、
どんどん新たなツールが作り出され、そのツールに伴うルールが増えていく。

本来これらのルールは、より便利に、楽しく遊ぶためのものだったはずなのに、
いつしかルールに支配されちゃったりして息苦しさを感じたりもしてねー。

自然の中、言葉という思考のツールを使うこともなく、自然のままに過ごしていたのだとしたら、やっぱり、思考と言葉の世界は息苦しいのかもしれませんねぇ。

このルールはより便利に、よりオモロくするためにできたものですのでね。
オモロく使ってやれば良いわけですからねー。

ああしたい。こうしたい。を遊びつつ、
ああしなければならない。こうしなければならない。は無視しても良いんだよって許す!
そうしておいてあげればいいのかもしれませんね。

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