Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

リスクと恐怖

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やりたいことやってたらええねーん。
ってね。
ゆーたりしてますけど、
もしね。
今、やりたくないことをやってたんだとしてね。
やりたいことやろうとしたら、そら怖いわけです。

また、やりたいことには嫌なことも付いてきますのでね。
その辺は仕方ないんですよね。

変えようとすることはリスクが伴います。

リスクって、直訳すると危険の可能性っていう意味なんですよね。
危険そのものはリスクではないんです。
あくまでも、可能性です。

なので、どんなことをやってようがこの可能性は付いて回るわけですが、

この可能性について、ある程度の理解しておくことで回避しようとするのが僕らの対処法だったりするわけです。

風邪引くかも知れんから、風邪薬もカバンに入れとこか。
ってなもんでね。

 

リスクとは危険ではなく。
可能性。

つまり、リスクとは「わからんこと」だということになりますねん。

なので、投資とかのリスク管理は徹底的に調べることでリスクを低減させて、
リターンの方が多い。つまり割安であると判断した場合に投資に踏み切る。
なんてことをするわけですねー。

でもどんなに対応を尽くしたとしても、リスクはゼロになることはありません。
リスクとは、そういうものなんですよね。

ちなみにね。
やりたくないことをやってたとしても、
今、それなりにやっていけているのだとしたら、
我慢という対処をしていたなら、それなりにやっていける。
というわけで、リスクは抑えられているんですよね。

でも、それを変えようとするのなら、わからんことが急激に増えますのでね。
その分、リスクは増えるわけです。

ホントはね。
やりたくない!っていう思いがもうすでに危険信号だったりするんですけどね。
それ以上にリスクを避けようとしちゃったりすることがあるんですよねー。

危険よりも危険があるかもしれないっていう可能性の方が怖く感じちゃうなんて、変な話なんですけどね。

で、その危険がとある水域を越えた時に、
ドーンとその環境をくつ返すかのように病気になったりしてね。

ま、その辺はなるようになるんちゃうんか?って思います。
ストレスを溜めてたらちゃんと病気になって休むようにしてくれますし、
やなことが続くとなんとかしようという動きが出てきてくれますしね。

だったら、お任せしておけばええやん。
ってなるわけですが、
やっぱりどうにかしなきゃいけない!
でもリスクがあるから、
わからんから、どうしたらいいのか・・・。って悩んじゃうんですよね。

結局調べに調べてみたけど、
やっぱりどこかに「わからん」が残るので、怖さはなくならず、
前に進めない。
なんてことになったりもしてねー。

確かに、ロシアンルーレットをするとして、
6発中3発に弾が入っているところを、6発中1発になったとしても、
引き金を引く恐怖は変わらなかったりしますからねー。

ただ、こういった考えも、極端に走り過ぎちゃって思考の渦に巻き込まれまくっちゃってるんですよね。
そないに極端に考えなくてもいい場合がほとんどですのでねー。

で、こう言ったら元も子もなくなるかもしれませんが、
実際のところ、わかってることなんてどこを探しても無いんですよねー。

まさに全ては未知であって、それが標準な訳ですので。

そして、そんな未知のなかで何かを「わかったこと」として捉えていようが、
捉えてなかろうが、なんらそこに差があるわけじゃなく、何かが保障されるわけもないわけです。

それなら、何を怖がってたんや?
って話になるわけですが、怖がるのもまた自然な現象の一つ。
組み込まれたアルゴリズムがそうなっとるわけですのでね。

恐怖だって起こっても別にええやん。ってことになるんですよね。
つまり、
怖がることを怖がらなくてもええやん。ってことなんです。

すると、恐怖というものが、思ってたのと違ったんやん。
ってなことに気づくかも知れません。

前髪とメガネでよく顔が見えてなかったけど、よく見たら可愛いやん!
ってな真実を発見できるかも知れないんですよねん。

恐怖って避けようとするから怖かっただけなんちゃうん?
ってことだったりするんです。

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