Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

命の管理運営者さん。

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僕らは確かめるまでもなく生きていますよね。
そして生きているからこそ、探求だってできるわけです。

もちろんこの探求をやめたところで、この命が消えるわけじゃありませんよね。

生きているから探求もできりゃ、思考も湧くわけですもんねぇー。

その思考がどこに行こうとしても、関係なく生きているわけです。

そもそも思考は移動しませんもんね。思考の中だけでどこかに向かってる気になってるだけでねー。

面白いことに、思考や観念が生じる以前にすでに生きていて、
その生命のエネルギーがあるから思考や観念が生じているわけなのに、
その思考や観念がその生命エネルギーをどうやったらよりよく管理運営できるのか?と答えを探し求めてたりするんですよね。

 

そんな探求が起こる以前から、
管理運営者が出てくる以前から、
すでに生命はあるのにね。

まるで海の中に住む魚が、
「この海はワシが育てた!今後もワシが上手く運営していかなアカンのや!」
ってゆーてる感じです。

「完全じゃ無い」という考えは、
この生命の後から出てきた思いであって、
「しっかり運営しなきゃならない」というこの思いは、その思考の中の運営者のさらにその中だけにしかないんですよね。

じゃあ、完全さはどこにあるのか?といいますと、
この作られた運営者以外の全てにあるって言うことなんです。

「へ??」
「しっかりコントロールしなきゃならん!って思ってるのはワイだけかいな!」

っていうことなんです。

この運営者を納得させるために探求を繰り返してたわけなんですが、
この運営者の正体は、納得できないという思いのエネルギーなんですねー。

なので、この子の仕事は常に納得できない状態を作っておくことなんです。

だから納得できる何かを探しても、見つかった途端に次の問題が生じてくるんですよねん。

ただ盲点なのは、「納得させなければならない」という義務はないっていう事なんです。

だってこういう思いが湧くのは本能的なものであって、いわゆる自然現象なんですよね。

雨は降ってはならない!って思ってたら、常に苦労することになりますよねぇ。
そりゃ、晴れの日もあるわけですが、いつかやっぱり雨は降りますからね。

同様に、「納得させなければならない」という義務感を持ってると苦労するわけです。

この子はそうやって身の安全をはかるという役割を果たす現象ですので、そのまま働かせてあげたら良いんです。

雨が降るのもそれで良くて、
納得できないー!という思いがあっても、それで良いというわけですね。

なので、「わからん」で良いですし、「わからん」が良いんです。

ちなみにこの運営者さんは、
常に仕事をしているわけじゃなく、
結構働いてない瞬間が沢山あります。

ぐっすり寝てる時や、リラックスしてる時や思いっきりひとつのことに集中してる時なんかがそうです。

その合間を垣間見ること。
それが一瞥なんですね。

ま、一瞥があったとしてもあまり気にしないことです。
この一瞥を(自称)運営者さんが掴みとっちゃうと、今度は常にこの合間を見ていたい!って運営者さんは考えちゃいますからね。

気づきとは、
「へぇー。この運営者さんを納得させなきゃならない義務感ってホントに無かったのかー。わからんで良かったのかー」
ということに気づくことなんです。

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