Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

所有の幻想

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僕らは道具を便利に使うことができます。
道具を使うとはその機能を使うっていうことになりますねー。

体の機能だって立派な道具です。

目は光を映像化してくれますし、
鼻は香りを確認させてくれます。
耳は音を楽しませてくれますし、
口は味わいを楽しませてくれます。

歩くことで大地を感じることができますし、
手はあらゆるものを持ってきてくれます。

イメージは夢や希望を見せてくれますし、
時に危険も察知してくれます。

そんな体の機能を思う存分使うことで、
命の表現をよりダイレクトに、よりダイナミックに、より拡がりを持って、
感じ楽しむことができるわけですねー。

 

道具っていうのは機能してはじめてその役割を果たしてくれます。
なので、道具とはモノではなく機能。
つまり働き、働いている動きがその本質なんですよね。

動きは掴み取ることができません。
つまり、道具には所有者って実は存在し得ないんですよね。

動きを所有したいと言う思いは、
動いているものを止まったまま持っておきたい!
という矛盾をはらんでいるわけです。

その矛盾が苦の原因になってたりするわけですねー。

そして、その道具を所有しようとしても、
そこに所有者はいませんので、その道具に逆に所有されちゃうっていう皮肉な結果になったりするんです。

ある種の思いを所有したいと思っちゃうと、その思いに絡め取られてしまう。
って感じですかねー。

例えば、
金持ちになりたい!って思った途端、お金というイメージに
あらゆる思いや行動がその想いによって制限されてしまう。

あの娘はわしのものや!
ってなると、その娘のプライベートやら考え方やらに途端に絡め取られてしまう。

みたいな感じですかね。

何かを所有したいと思うと途端に所有されちゃうんですよね。

これはお金儲けしちゃダメ!っていうこととは全然違います。
お金の機能は思う存分楽しめば良いんです。

なので、がっつり稼いでガッツリ使って、ガッツリ回せば良いんです。
その機能をつかって、この世界を思う存分楽しめば良いんです。

儲けるのが上手で楽しい人はガンガン楽しめば良いんです。

ただ、ずっと所有していたいと思っちゃうと、機能を楽しむ道具だったはずのお金に
逆に支配されちゃったりする訳ですね。

実際に支配される訳じゃなく、どこかに鎖があるわけでもないんですけどね。

思いが行動やアイデアを縛っちゃうわけです。
ほんとは縛る何かがあるわけでもないのにねー。

所有しようとすると、逆に何かに所有されちゃって不自由になるんですね。
所有なんてないやーん。
ストックじゃなくてフローなんだー。
だったら、フローを楽しんでたら良いんだー!

ってね。
そうなりますと、物事がグッとシンプルになるんです。

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