自分の不甲斐なさとかにね。
ほとほと悩んだりすることがあったり、
あーダメだわぁ。自分って、、、
てね。
他の誰かと比べて見たりして落ち込んだりすることもあるかも知れませんけどね。
そんなもん、一緒なんです。
もし自分がダメだーと思ってたとしても、
みーんなそうなんですよね。
だってね。
この自分やと思ってるのは、
単なる働き、エネルギーに過ぎないわけですからね。
そして、そのエネルギーの質は基本的に一緒なんです。
どうしても自分だけがそう思ってて、
周りは自信満々のように感じたりしちゃいますけどね。
そのエネルギーの正体は自身を守ろうとする健気な愛なんですよね。
ま、わざわざダメな理由をみっけて、
その理由に縛られちゃう必要はありません。
結局はそれに縛られちゃうか、
知らんがな!ってほっておくかだけの違いなのかもしれませんね。
また、自分以外のすごい人が持ってるようにみえる、
隣の庭の青い芝。
そんな栄光や自信満々もまた
あなたの中にあるということでもあります。
素晴らしいものに触れた時、その素晴らしいものはあなたの中にある光をあなたがみているってことになるんです。
あなたの中になけりゃそれは見えてこないんです。
そのあなたの中の素晴らしさは、実際には無条件な素のまま晴らしさなんですけどね。
それに条件を当てはめた時、
その条件に沿う場合とそうじゃない場合に分けられちゃうんですねー。
その条件はとっても重大な根拠があるように見えますが、
それも蜃気楼のようなものなんです。
その蜃気楼のような条件の奥に無条件の光があるわけです。
その光を道しるべとすること。
それが自灯明なんですね。
その道が指し示す先は、あなたの中にある無条件な素晴らしさです。
そこに知らず知らずのうちに、つきまとっていた条件があるなら、
その条件を責めるでもなく消し去るでもなく、
ご苦労さん。今までありがとね!
と声をかけてあげたらいいんです。
それは自身を守るために健気に守ってきてくれた御守りだったんです。
気づいてあげることによってその役割を終えるんです。
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