Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

知識がジャマになっちゃう?

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邪魔(じゃま)っていう言葉は、お釈迦さんの修行を妨害した心の中の魔のことを指すそうですねー。

それが邪魔という言葉として定着し、
それがいつしか、海外に渡り、英語でも妨害のことをジャマーというようになったのだー!

ってねー。英語の部分はウソなんですけどね。


ところで、サイコロってなんでサイコロって言うか知ってますか?

それはね。
サイコロには1から6の数字が書かれていますが、
4と2って「死に」を連想させて縁起が悪いってことでね。

4と2を抜いた残りの数字。
つまり、

3、1、5、6

を読んだものが
3サ
1イ
5コ
6ロ

ってね。
当て字をして呼ぶようになったのが始まりなんです。


うん。

 

これもウソでぇーっす。

せっかくのエイプリルフールなので、ちょっとウソをついて見ました。

 

はい。
おはようございます。
タクさんです。

「もっと自分を愛でて自分の声を聞いたらええねん。」

って言ってますけどねー。
これ、方法論じゃないんですよね。

僕も含めていろんな人がいろんな言うもんですから、
なんかその言葉を方法として受け取っちゃったりしちゃいますとね。
今度はその方法に縛られちゃう。
そして、その方法をうまく使いこなせない自分という罪悪感を持っちゃたりすることもあると思うんですよね。

うまく瞑想できない。
うまく解放できない。
うまくカルマを消し去れない。

私がまだ残ってる。。。

みたいなね。

そんなん関係ないんです。

多分、このブログ読んでくれたはるひとって、
結構、こう言った非二元だったり、スピリチュアルの探求が長い人って多いと思うんです。

そういう場合って、結構博識な方も多いんですよねん。
そうすると、こういう場合はこういうことが起こってるんやな!
って結構知識で解決しちゃったりするんです。

でも、そうやって知識で解決してそこでやめちゃうんじゃなくて、
何かを参照しようとしているっていう癖。
その癖のエネルギーの方を見てあげたらいいんです。

そうすると、全てことに対して、そのまんまじゃなくて、
すぐに、条件反射的に知識を参照して、その知識内の世界に閉じこもっちゃってるやん!
ってことに気づけるかもしれません。

もちろんね。
知識が無駄だってことじゃないですよ。

ただ、その知識を参照しなきゃならないという強迫観念が、そのまんまを曇らせちゃうよってことなんですよね。

知識はあっていいけど、別にそれって役に立たないんですよねん。
役に立つのは、ルール上に乗っかってゲームをしている時だけなんです。

将棋にしろ、サッカーにしろ、ね。
そして、人生というゲームにしてもね。

そういうルールの上で遊ぶときは役に立ちますが、

そのまんま全てにおいては知識が役に立つものじゃないってことを許してあげたら良いんです。

そして、そう言った知識を通さずに自分の声を聞いてあげたらね。
知らないうちに掴みとっていたルール上からくる声が聞こえてくるかもしれません。

だったらね。
それ、単なるルール(観念)やで!

って教えてあげたら良いんです。
自分にね。

役に立たなくても良いけど、無駄じゃないんです。

役に立たせなきゃいけないっていうクサリから解き放たれちゃいましょ!ってことなんです。

そうすると、知識を得るのも、自由で楽しいものになってきてくれます。
だって、役に立たなくて良いんだから、もう自分の好きを思いっきり表現したったら良いんですもんね。

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