Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

あらゆるものへの受容って、受け入れがたい何かを頑張って受け入れるんじゃないんです。

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うーん。
今までも何回か書いてますけどね。

受け入れるという事と、手放す事って同じことなんですよね。

今この瞬間への抵抗ってね。
今この瞬間を受け入れちゃえば、抵抗の意義がなくなりますよね。
だから受け入れちゃうと、抵抗も手放されちゃうわけなんです。

じゃあ、今この瞬間ってね。
どういうものなのか?って言いますと、
起こってる抵抗も含めて、この瞬間ですよねぇ。

そうなりますと、
今起こってる事。
例えばそれが受け入れがたいと思ってる事。
そして、受け入れがたい!からくる抵抗。

これぜーんぶ含めて、今この瞬間だってことになりますよねー。

ということは、
この抵抗だけを何やかやの方法で手放そうとすることも、
これまた同時に、
今この瞬間への抵抗になっちゃいますよね。

抵抗が起こってるのはいかんことだ!
なーんていう観念のもとにね。
抵抗が起こってるの今に抵抗してると言いますかねー。

なので、今に抵抗してるからこの瞬間を受け入れられないんだ!
この抵抗が邪魔なんだ!って躍起になっちゃうと、
それまた、抵抗に対する戦い!
みたいになっちゃうんです。

だったら、どうすれば!!!
って話なんですけど、
抵抗が起こってるなら起こってるで良いやないですかー。
っていう話なんですよねー。

でも、そういう風に聞いちゃうと、
え?その抵抗を受け入れなきゃならんのか!
なんて方向にいきがちですが、やっぱり、嫌なもんは嫌ですよねぇ。

なので、抵抗を受け入れるというよりは、
嫌なものを受け入れる。
というよりは、

嫌だよねぇー。
うん。
嫌だよねー。

・・・

以上。

って感じなんです。

 

それが、居させてあげたら良いじゃん。
っていうことなんですよね。

でも、そのままだと、まだ抵抗感はあると思いますので、
できれば、その抵抗感を愛でてあげたら良いと思うんです。

抵抗感っていうのは、
それがなきゃ、万事うまくいくのに、、、。
って、どうにも邪険に扱っちゃったりしがちですけど。

可愛がってあげますと、実はその奥にある健気さを見出すことができるんです。
それを見出してあげたなら、この抵抗感もちゃんと健気に守ってくれようとしてたんだねー。
っていうことが見えてきてくれるんです。

何から守ろうとしてくれていたか?と言いますと、
持ち込んでた観念に沿うようにしようとしてくれてたんです。

そんな健気な子なら、ま、居てくれても良いよ。
ってなってくるんです。
そして、奥にあった持ち込んでた観念も同時に見えてくるんです。

そうなると、そりゃそうやんなー。
って気づくんです。

風は一切吹いてはならぬ!!
っていう思いを持っていたのだとしたら、
風が吹くたびに大騒ぎしなきゃならないですよね。

それと同様に何かしらの観念を持ったなら、
それに反することにはなんとか抵抗しなきゃいけないわけです。

その観念を目の当たりにしちゃったなら、
それは毒でも薬でもない。
ホント単なる観念。
ということが明らかになりますのでね。

その観念から湧き上がるあらゆる一連の物語が、
初めてリアルではなく、物語だとわかるんです。

その物語の奥。
物語が始まる以前には、完全な受容がすでに存在しています。

あらゆることは既に許されてるんですよね。

なので、何かを許そうとする必要もなく、
頑張って受け入れようとする必要も無かったんです。

もう最初っから受容しかなかったことが見抜かれちゃうんですよねん。

なので、そのまーんまにしておいてあげる。
あとは、湧き上がるオモロイのノリノリに乗っかってあげる。

それで良いんですよねん。

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