Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

未知に溶け込む。

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うまいこといくかなぁー。
失敗するかも知れへんなぁー。

うーん。。。

ってね。
悩んじゃうことってありますよね。

それだってやっぱり、
正しい道と間違いの道といったような
イメージの中で作られた二つの道があると思ってるから、
思い悩んじゃうわけでして、
結局今まで自分が歩んできた道って一本しかなくて、
それ以外の道なんてそもそもありませんし、
今こうやって存在してるってことは、
今までの道は誤ったことすらないはずないんですけどねー。

 

いや、もしかしたら、
より良い道があったかも知れないんですよ!

って思うかも知れませんが、
存在してるっていうのに、
より存在してる、とか、ちょっとだけ存在してる。
とかありませんのでね。

どうあがいても正解の道しかあり得ないわけなんですよね。

もっというと、ホントに二つの道があるのか?
っていうことなんです。

無いんですよね。
そんなのはどこを探してもね。
イメージの中だけであるように見えてるだけでしてねー。

それはー、まるでー、蜃気楼〜♪

ってことなんです。

じゃあ、何があるのよ?
って言いますと、
もう完全な未知だけがあるわけです。

未知の中で何かをわかろうとすると、分からないことが怖くなりますし、
わかったように思っても、いつまでたっても完全にわかったとは言えない状態が続きます。

でも、未知を未知なんだと受け入れられちゃうと、
なんとも自由なワクワク感が広がるって来るんですよね。

もう、わかってなきゃいけない。っていう謎の深刻さに縛られなくても良いからです。
未知こそがありのままであって、そのありのままを受け入れられない思いが苦を生じさせていて、
その苦は分からない中で何かを掴もうと空間の中で手探りを続けることやったんですねん。

さて、存在してるならもうそれで正解って書きましたが、
もうね。

生きてるだけで丸儲けどころか、
存在してるだけでもう丸儲けですし、それ以上もそれ以下もないんです。

でね、この存在なんですが、
僕らが物心つく前からあるわけです。

だって、僕らって物心ついてから生まれたわけでもなく、
物心ついてから、
よっしゃ!このタイミングで存在を始めてやろう!
なーんてやってないですからね。

それは生まれたこともなけりゃ死んだこともないんです。
生と死も、心の中にだけあるイメージなんです。

でもって、この存在を失うことはできません。
その存在には持ち主がいないからです。
そしてその存在しかないので、それで全てなんですよねー。

だから離れることもできません。
自分自身から離れてる気がする。っていうのは気のせいなんですよねー。

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