Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

優劣も、正しいも誤りもない。

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ドラゴンボールなんかでね。悟空が子供時代に天下一武道会に出場するわけですが、ここで、ごっつい大人の人が、
「おいおいおチビちゃん、お前なんかが出場するのかい♪大丈夫か?」
みたいにからかうシーンがあったりするんですけどね。

そういうの読んでると、
キーー!悟空はその辺の大人なんかよりもめっちゃ強くて、かめはめ波だって出せるんだぞ!
って、なんかくやしく感じたりするやないですか。

水戸黄門もそんな感じなのかな?
その辺のお侍さんに、「おい!じじい!」って呼ばれたりして、
「わしはただの旅の隠居じじいですわい」って黄門さんは言ってたりして、
きーー!ホントは天下の副将軍であらせられるのだぞ!!
って見る人が悔しく感じたりして、、、後で印籠を見せるシーンでみんながスカっとする!
みたいなねー。

ま、黄門さんは、それお前の実力ちゃうやん!
しかも強いのは、助さんと格さんやし。。。
って思ったりして、後で身分を明かすところにもなんかやらしさを感じたりするわけですが、、、。

まあでも、そういう悔しさって言いますか、もどかしさ?に似た感覚ってありますよねー。

 

自分なんて、、、。
なんか恐怖が襲ってきて、、、。
どうしたらイイんでしょう。。。

みたいな話を聞いた時にね。

感じるのは、こういう感じなんですよ。

あんた、かめはめ波打てる悟空なんやで、
メッチャつおいんやで!

って、思うわけなんですよね。

みんな好きなことを好きに表現したらええだけやのに、、、
実体のない恐怖に足を止めちゃったりしてね。

よく動画のドッキリなんかで、プロサッカー選手がじいちゃんの扮装をして、
急にじいちゃん覚醒する!
みたいなドッキリあるやないですか。

あれ、じいちゃんが、実はサッカーうまいんやでー!
ってやるから、痛快な感じを感じるわけでして、
ずっと、下手なままやったら、

おいっ!

ってなりますよね。

コンテンツとして成り立ちません。

自分を過小評価しなくてええんやでー。
っていうのは、そういう感覚からくる言葉なんですよね。

過大評価もしなくて良いんですけど、
そもそも、過少だろうが、課題だろうが評価ということがあるっちゅうことは、
なにかしらのルールの上に乗っかってるっていうことですのでね。

それ、単なるルールですやん。おままごとのルールと同じようなものですやん。
その深刻さで自身をムチ打たなくても良いんやでー。
って思うんです。

僕がそうやってムチ打ってたもんですからね。
自分に対して。

自分に対してかわいそうなことしちゃったなぁ。
って思いますので。

そもそも、正しいも間違いもありませんし、
優劣もありません。

正しいも間違いも、優れているも劣っているも、
そういうのを作り出すには大前提のルールが必要になります。

そのルールを真に受けているグループ内だけで、
その優劣は通用するわけです。

それを真剣に遊ぶのはもちろんありですが、必要以上に深刻さを伴うようなもんじゃないですし、その深刻さで自分をムチ打つのって、やっぱり的を外しちゃってるんじゃないかな?
ってねー。思うわけです。

それが嫌ならやめられるんです。
やめるには、そうしちゃってる自分を思いっきりそのまんまで、受け入れてあげちゃうっていうことがコツなんですよねー。

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