Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

寂しさ

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おはようございます。
タクさんです。

普段ブログでは関西弁を気取っておりますが、
僕は今、東京に住んでおります。

もう東京に来て、20年近くになります。
人生の半分ちかくを東京で過ごしておりますので、
標準語っぽいイントネーションもバッチリマスターできておるのでございます。

バイリンガルです。
はっきりいって。

でも、最初に東京に来たときはねー。
ちょっと、これはやっていけへんかも、、、、。
って思ったこともありました。

なんていうか、
関西の人から見ると、標準語?関東弁?ってね。
ちょっとオネエ言葉っぽく聞こえるんですよね。

特に、「○○しちゃってさぁー」
みたいな言葉なんかだとね。

女性が言う分には良いんですけど、
男性が言ってると、ちょっとゾゾゾッってしてたんですよねー。

アカン、
わい、ここでは生活していけへんかも、、、。
なんて当初は思いましたが、
今では、サラッと、
「〇〇しちゃってさー」を言えるようになりました。

シティーボーイです。
はっきりいって。

 

さて、
今まで、不安やら恐怖やらといったテーマについては結構書いてたりしますが、
あまり寂しさということについては書いてないなぁー。なんて思いましたので、
今日は寂しさをテーマに書いてみよっかな。
って思います。

まあ、しかし、
なんですなぁ〜。

不思議なことに、田舎におるよりは、
東京みたいな人の多い都会におる方が、
もしかしたら寂しさを感じたりすることって多いのかもしれませんねぇー。

ひとりで自然の中に佇んでる分には寂しさよりもむしろ自然との一体感みたいな感覚を感じることもあるんですが、

街にひとりでおったりしますと、
みーんな誰かといて、楽しく会話をしてるのに、
自分だけは黙ってなきゃいけませんからねー。

そんな時にちょっとした寂しさを感じちゃったりしてね。

まあ、ブツブツと独り言を言うわけにもいかず、
ひとりでキャッキャ♪とはしゃぐわけにもいかないので、
仕方がない部分もあるんですけどねぇ。

しかも、まわりにいるひとたちが楽しそうな人ばっかりだとしますとねー。
みんな笑顔でおりますからねぇ。

これもまた、一人の時って
あまりニヤニヤしてられませんからねー。

意外と、一人でもニヤニヤして笑ってブツブツと喋ってたら寂しさを感じなくてもすむのかもしれませんけど、、、、。

僕も今、
賑わうカフェでこの記事を書きながら、
ニヤニヤすることもできず、仏頂面を気取りながら、
そんなことをボーッと考えておりました。

まあ誰でもねー。
ときには寂しさに押しつぶされそうな感覚を感じることがあるもんです。

寂しさを感じてる時って、なんだか自分だけがそうなんだって感じちゃったりするんですよね。
それが寂しさっちゅうもんです。

私だけなんだ。
孤独なんだってなればなるほど、余計に寂しさを増幅させていくんです。

そんな時って、どうしても自分を小さくみちゃうんですよねー。
寂しさを感じれば感じるほど、どんどん自分を小さく感じちゃったりするんです。

分離感ですね。この分離感が強ければ、自分の孤独感も増してくるわけです。

これって錯覚なんですけどね。
でもね。
こういう錯覚もまた起こるもんなんですよね。

分離感っていうのは、感じれば感じるほど、自分とそれ以外との繋がりが閉じているように感じられます。
そうなると、益々自分は小さく感じられ、寂しさは大きく感じられます。

逆に、自分が開かれていれば、自分とそれ以外との垣根も小さくなってきます。
そうすると周りと自分は溶け込んでいきますので、一体感は増してきますのでね。
寂しさも軽減されていくわけです。

もちろん、このどちらもある種の錯覚のようなもんなんですが、同時にこの錯覚も呼吸のように、閉じたり開いたりをしているもんなんですよね。
誰もコントロールしてないんです。

だからねー。
閉じた自分も悪くなけりゃ、開いた自分も悪くないわけです。

ともすると、
自分を開いて、垣根を取り払ったその先に、なんか自由があるように感じたりするかもしれませんけどねー。

自由は、閉じてても開いててもどっちでも良いやん♪の中にあるんですよねー。

だから、これもまた1つの景色なんだねーって見てあげると良いんです。

開いてなきゃダメなわけじゃなく、閉じてるのもダメなわけじゃないですからね。

ま、寂しい時っていうのは、色々とその寂しさに物語を付け加えて、

わーっ!って、
なんか絶望感が余計に襲ってくる〜。

なんてこともあるかもしれませんけどね。

そっかー。
あってもいいんだ。景色なんだ。
そこに原因となるような物語って別に無いのかもしれないなぁー。
なーんてことを、ちょこっと頭の片隅にでも入れておいたら、
その寂しさに、
余計な物語の付け足しをしなくても良いってことが見えてくるかもしれませんねー。

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