Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

恐怖と、恐怖の克服について

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A「ようB!おはよう!どうした?元気ないじゃん!」

B「いやー。ちょっと最近悩んじゃっててさー」

A「どしたん?めずらしーじゃねーか?オレでよかったら話聞くぜ!どうしたんだ?」

B「いやー。お前には言ってなかったんだけど、実はオレ、お化けなんだよねー。そのことでちょっと悩んじゃってさー」

A「あ!そうだったのか!そういわれれば確かに、足元ちょっと透けてるもんなぁ。まあでも、良いじゃねーかそんなの。気にすることねーよ。病気にならないって羨ましいぜ!」

B「そうか?なんかそう言ってもらえたらちょっと楽になったよ。おれ、気にし過ぎてたのかもしれないなー」

 

はい。
おはようございます。
タクさんです。

冒頭の
なんやねんこの話は、、、てじぶんでもおもいますが、
ぼーっとしながらなんとなくかいちゃいました。

やっちゃいました。

とあるお化けとの会話の様子をオサレな関東風コトバでまとめております。

お化けがこんな感じのカジュアルなものだったら、なーんも怖くないんでしょうねー。

そういえば、中学生の頃は、言葉の中に
「行くぜ」とか、自然に「ぜ」をつけられるような人になりたいなぁ。。。
って思ってたこともありましたが、未だに叶わないでおります。

さて、今日は、冒頭のとは全然関係ない話をしていきたいと思います。

僕らの不安感や、怒り、って元を正せば、恐怖感から来ておったりするんですけどね。
その恐怖って、よくわからんもんに対しても起こったりしますよねー。

恐怖って、最終的には死の恐怖につながっておったりするわけです。
なので、このまま行ったら、行き着くところは「死」ということなんとちゃうやろか?
ってなりますと、恐怖を感じるんですよねん。

その恐怖の反応として、不安感が起こったり、怒りが起こったりするわけです。
ちなみにこういった恐怖もね。
反応のようなもんなんですけど、何かに対して起こっているというよりは、たんに起こってるんですね。

でね。
まあ、恐怖っていい気分はしないじゃないですか。
だから、どうしても克服したくなるわけなんです。

そして、
「それ」を発見したなら、
全てに溶け込んだなら、
何かしらの悟りを得たなら、
自分は、こういった死の恐怖からも解放されるんかいな?
みたいな思い込みがあるかもしれません。

でもね、そ~ゆ~ことじゃないんですよねー。
なんていうかね。
あらゆることは起こりますし、怖いも起こるんですね。
ただ、その怖いに自分を後付けして、自分が怖いをやってるよねーってたんに気づくだけです。
怖いは起こりますし、怖いに対して何らかの対処をしようとするかもしれませんが、それに自分をくっつけると、そのくっつけ方の本気度?が強ければ強いほど、妙な深刻さも増すんですね。

でもその自分って後付けされたもんですやん!
って気づいちゃうと、本気でくっつけづらくなってくるんです。

最初はアロンアルファでガッチガチにくっつけてるって感じだったのが、
使い古しのポストイットみたいな感じになってくるって感じになってくるんですよねー。

そりゃ、自分というのは後付けやで!ってネタが割れてしまってるのに、
それでも本気で、自分が怖いんだー!
この怖さはワシのもんなんやでー!
って、もう本気で取り組めへんやん!ってなってきますのでねー。

なので、怖さは今まで通り起こるんですが、起こっては去って行くわけです。

怖さってね。
よくわからんもんに対しても起こるので、その怖さを避けるために何かを知っておこうとするわけです。
それが、より本気になってくればくるほど、完璧さを求めちゃうんですよねん。

なんていうか、完璧さを求めるのも怖さから来てたりもするんですよねん。

なので、全ては完璧っていうのをなんとか手に入れようとしちゃったりしてね。

これも、ネタバレしてしまいますと、わからんでもええやん♪ってなって来ますので、
やってきては消えて行くんですけどねー。

後付けしとるしなぁーって気づいちゃうと、どうにかしなきゃいかん!って思いも突発的には起こってきますけど、あまり長続きしなくなってくるんですよね。
もちろん、今までの感覚もちゃんと忘れずにあるんですけどね。
長続きしなくなってくると、起こっては消えてくよねー。ってなるんです。

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