全てはエネルギーのようなもんです。
これは完全な個体として何かがあるわけじゃなく常に変化しとるという感じなんですが、
ま、要するに、波のようなもんなんですよねー。
音も波なら、光も波。
物質と呼ばれとるものも波の集合体です。
僕らの体も常に変化し続けてる波のようなもんなんですよねん。
そもそも全ての物質の元にあるのも波ですからね。
波が共鳴しさまざまな物質のような姿を表現しておるんです。
でもって波って個別では存在し得ませんよね。
全ては連綿とつながった1つの表現ですからねー。
そもそも波に個体という概念はあてはめられませんからねー。
水面に浮かぶ波を、ここからここまでが僕の波で、ここからここはあなたの波。
って決められません。
ここからここまで、ってゆーてる間に波は変化しますし、
波というのはひと続きですし。。。オスシ。。。
でね。
高い波が良くて低い波がダメってこともありません。
波同士は共鳴したり反発しあったりしているように見えますが、
それもまた全体の表現ですのでね。
波とは、波動とも言えますが、波動に高いとか低いとか、
そういったもんも無いんですよね。
あるのは単に好き嫌いだけなんです。
ああ、ここは素晴らしい波動ですねぇ。
とかそんなセリフがあったりしますが、
それは、
「わしはハンバーグが好きですねん。」
「ハンバーーーグ!!!」
って言ってるのとなんら変わりはないんですよね。
でも、あまりにハンバーグが好きすぎて、ハンバーグ以外の食べ物がまるで敵に見えるようであれば、それはこだわりすぎが高じて不自由になっちゃってるってことですのでねー。
そう言った不自由さを感じるのなら、
もしかして、私はハンバーグにこだわりすぎの偏食になっとるのかもしれないなぁー。
ってことも見てみると良いかもです。
ソプラノも好きだけど、僕は深みのあるアルトがたまんないんだよなー。
って楽しめば良いんです。
ソプラノだけが素晴らしいわ!ステキだわ!
ああヤダ、アルトの波長はホントイヤだわ。排除されれば良いのに。。。。
ってなっちゃうと、せっかくのアンサンブルが単調になっちゃいますもんねー。
その単調さって、結局のところ好き嫌いが生み出してるんですよねん。
実際には波には種類すらなく、まさにイノチの表現がダイレクトに起こっている!
んです。
イノチのオーケストラが喜びを表現しています。
そして、僕らもまたその喜びの表現の一部であり、喜びそのものなんです。
オーケストラを聴いている誰かがいるわけではなく、そのオーケストラだけがあるんです。全てはイノチの喜びの参加者であり、当事者なんですよねん。
その全てである「それ」を単に見て見ぬ振りをしている間だけ、それが見えてないと錯覚してるだけなんです。
見て見ぬ振りをしてるつもりは多分、誰も無いと思うんですけど、
実はそのこだわりがそうさせてたりするわけなんです。
一切合切のこだわりと、一切合切の記憶を
今だけ置いておいてみるとね。
そこに残るのは、完全な未知と、常に新しい、
好き嫌い以前のオーケストラなんです。
そこに不具合の入り込む余地もありませんので、
それはもう完全な調和なんですよねー。
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