自分ってどこを探してもいないんですけど、そのいないというのを認めるのはとっても危険な感じがして怖かったりするんですよねー。その怖さの中に飛び込むっていうのは、底の見えない崖に飛び込むような気分になったりするんです。
目をつぶったまま街をダッシュする!みたいな怖さでしょうか。
なので、
自分を確立しておかないと、どうにも落ち着かないんですよね。
確立するには、その土台が必要になります。
その土台となるのが、観念なんです。
そして、一旦確立したならその土台は強固でなきゃ落ち着きませんね。
で、どんどん強固にしていくんです。
どうやって強固にしていくかと言いますと、
観念をより良いものに差し替えたり、付け足したりしていくんです。
より良い観念を手に入れるには何かしらのお墨付きが欲しくなります。
お墨付きとは、
あのえらい先生がゆーてはるんやから、きっと正しいんだろう。
とか、
ブッダの言葉にもあったのだからこれは真実なのだろう。
みたいなやつですね。
そうやって強固にしていけばいくほどに、観念は自分の中の真実のようなフリをして居座るようになるんですね。
そして、その観念はいつしか自分と同化していきます。
「あなたは男の子なのよ!」と教えられると、
ほう、わしゃ男の子なのか。。。と思います。
「男はしっかり者で強くなきゃダメなのよ!」
と教えられると、
ほう、わしゃ強くならねばならぬのか。。。と思うわけです。
子供の当時は絶大な影響を持っていた親から言われたことなので、
もう真実と疑わず、しっかりと観念を取り入れていくわけですね。
で、もう疑いもなく、
「わしは人間だ!そして、男だ!」
という自分が作り上げられるんです。
有名大学を出たら、
「わしは〇〇大学出身の△△だ!」
となり、
有名企業に就職したら、
「はい。□□商事の△△です!」
となるわけです。
強くならなきゃならないと信じ、その強さを補う観念を手に入れ、
強くなってきたと自負するとともに、より強くならなきゃまだ安心できないと感じたり、
時に、ん???この方向性で自分は正しかったのかな??と疑問に思ったりするわけですね。
そして、築きあげてきた観念が否定されたり、崩れかけたりすると、恐怖を感じます。
恐怖は不安に姿を変えたり、怒りに姿を変えたりするわけです。
自分とは、あらゆる観念が寄り集まって、自分というものに置き換わったもんなんですね。
なので、観念が否定されると、自分の死を意味するわけです。
その死を恐るわけですねー。
死んじゃうと全部無くなるやん!って思うわけです。
でも、自分とは観念そのものであって、生まれたこともなく死にようも無いんですよね。
あらゆる観念も、全てである命の中に起こるキラメキのようなものです。
命という大海の中のアブクのようなものが観念であり、起こってはまた大海に溶け込んでいくわけです。
「自分の命」という観念もまた、大海の中のアブクの1つなんですよねん。
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