Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

どないしたらいいんだろう?と思ったなら、どないかするのをやめたったらええねん。

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非二元だろうが何だろうが、いろいろな話がありますよね。
でもって、読んでくださってる皆様もいろいろな事情があるんだろうなぁ~って思うんです。

でね。
こういう話をきいたとしてもね。

じゃあ、どうしたらええねん?
って疑問がどうしても出てきちゃうと思うんですよね。

なんていうか、どうしたらええのか?そのとっかかりをどうしても掴みたくなってきますのでねー。

 

どうしたらええのか?が出てくるっていう事は、このままじゃダメ、
すなわち何かしらの「あっかーん!」って思ってる思考があるからやと思うんですけど、そういう「あっか~ん!」が出てくる土台には、色々と判断し、チェックしてるやつがおると思うんです。

もう四六時中チェックしまくるんですよね。そいつは。

でね。このチェックしとる存在?
ま、存在というよりはクセに近いのかもしれないんですが、それが自分なのか?というとそうやないんですよね。

よく自分を愛でてあげると言ったりしてますが、それはこのチェックしとるやつの意に添うようにする。
つまりは欲求をかなえてあげるというのとはちょっと違うんです。
どちらかというと、その判断からね、スッコーンと解放してあげるんです。

判断は起こってきますが、もうほっておくことにするんです。
判断に締め付けられた表現を解放してあげるんです。

そうすると、表現が力を取り戻してきますんでね。
どうしたらええねん!と悩むことなく、徐々に表現が現れてくると思うんですよ。

やりたいこと探しをしなくても、自然に表れてくるっていうかね。

ホントにやりたいことって、実は誰かに期待されたことでもなく、
誰かの役に立つモノじゃなくてもいいんです。

そこに、なんていうか、ノリノリがあるかどうか?ですのでね。

そのノリノリを探すには、ありとあらゆるクサリを外してしまうんです。

これなら、儲かる。
これなら、あの人も認めてくれる。
これなら、見返すことが出来る。
これなら、世間に納得してもらえる。

みたいなクサリね。

まずは、頭のチェックの声をほっておく。
消そうとしなくてもいいけど、右から左に受け流すんです。
ムーディーみたいに、、、。

最初はちょっと怖いかもしれませんけどねー。

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