Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

やりたい事と観念のお話

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やりたいことやってたら良いって言いますが、やりたいことをやるのもまた観念の声を聞いてそれに従うことだから、やっぱり観念にハマってるんやないのん?

ってな疑問もあったりするかも知れません。

たしかにあまりやりたいことにこだわってると、
やりたくないこと、やなことが、よりやりたくないこととして重くのしかかってくるように感じたり、
わしゃ、これがやりたいから、今はこんなことやってる場合やないねん!
って思いにとらわれたり、
はたまた、今やってることはやりたいことに繋がっているのか?
やりたいことに役立つのか?

なんて考え込んだりしちゃったりして、、、。

あれ?もしかしてこのやりたいことへのこだわりもまた、
自分を檻に閉じ込めてない?
なーんて思ったりしてねー。

そうそう、
やりたいことも1つのこだわりになっちゃうと途端にそれは観念の檻に早変わりしちゃいます。

やりたいことが1つの大目標になって、
その目標に向かっている間は楽しくて良いかも知れませんけど、
結局その目標がまた1つの物差しとなり、
あらゆる起こることをこの物差しに沿って判断しちゃったりしてね。

おい!逆に窮屈やんけっ!

ってねー。

なったりするパターンもあるかも知れませんね。

 

目標となるやりたいことを持ってるのは勿論良いんですけどね。
目を向けるのは「今」なんですねー。

そして、やりたいことに妙なストーリーや観念を付け加える必要も無いんですねー。
もしそれが、しんどいならね。

ストーリーや観念を付け加えると、やりたい事だったことが、いつしかそのストーリーに乗っ取られちゃうんです。

ものすごく地味でしょうもないように思えても、今それがやりたいことやったらやってみれば良いんです。
そこに、これはストーリーの沿うのかどうか?を気にしなくても良いんですよねん。

ギターを弾けるようになりたい。よりは、今ギターを触って楽しんでみたい。
結果弾けるようになるならそれも良し、そうじゃ無いならそれも良し。

ちゃんとサラサラと弾けるようになるのだろうか?と考えるより、
今、下手なりに弾いてみるのを楽しんだらええんです。

実際、未来ってストーリーの中にしかありませんのでね。

そんなイメージに閉じ込もらんでもええんですよねん。

目標に近づいてる感じが楽しいなら楽しめる間だけ楽しめば良いし、
それが楽しく無いならほったらかしておいても良いんです。
ほかの楽しいことをやれば良いし、
クッソ無意味なことを楽しんでりゃ良いんですよねー。

僕もね。
今は、文章を書いてますけど、その前は何をしてたかと言いますと、
ひたすらiPadの画面を指でサッと左に流して〜。右に流して〜。
なんてことを無意味に楽しんでおりました。

何やっとるねん(笑)!
っていう無意味さ。

そんな無意味さに溶け込んでおったらええと思うんですよねん。

意味を持ち込まない。ストーリーをほっておく。
その自由さが、幻想からの解放。
イメージの中からの解放なんです。

意味もストーリーも頭の中の幻想ですのでねー。
別に大事なもんでもちゃんとしなきゃならないもんでも無いんですよねー。

というわけで、あまり非二元とかとは関係ない話でしたが、
ま、お気楽にいきましょーってことで♪

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