Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

幸せのありか

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もう何年も前なんですが、
テレビでね。
とっても幸せそうな人を見たんです。

たしかその人は海洋研究者のような人で、
車で移動しながらいろんな海を潜っては、その海の状態を調査したりしてはるんです。
で、海の大切さを地域の人たちに自作の紙芝居で伝えたりする。
みたいな活動をされていて、
寝泊まりも車の中で、年中移動しながら海の大切さを説く活動や調査をしてはるんですけど、収入はあまり無いってな事でした。

でも、なんか海のことを話す時は、目がキラキラしててものすごくステキなおっさんやったんですよねー。

ああ、この人、幸せなんやろうなぁ〜。なんて感じたんです。

 

ほい!おはようございます。

人って基本的に幸せを求めて探求するやないですか。
でね、この追い求めてる幸せってもしかしたら2パターンあるように思うんです。

で、この2つのパターンのうちの一個はワナのような機能があって、こっちのパターンにハマると幸せ探しがいつまでたっても終わらん!
みたいなことになるんとちゃうん?
って思ったりするんです。

この2つのパターンっていうのはね。
求めてる望みの違いにあるんだと思うんですよね。

ひとつは、防衛本能の望み。
そして、もうひとつは、湧き出てくる望み。

の2つです。

防衛本能っていうのは、いわゆる自我ちゃんのことですね。
危機から守ろうとする働きです。
こういった働きは全ての生物が持っているわけですが、ヒトは脳が発達していて言葉というツールを巧みに操る事ができますので、ストーリーを作り上げる事が出来るわけです。
なので、自分という主人公を作り上げるわけですね。そこから展開するストーリーが自我ちゃんなわけです。
まあ、自我ちゃんという確立した何かがあるわけじゃなく、そういった動きがあると言うわけですね。

基本的には危機を回避しようとする働きであることと、そこから発展した自分という物語、概念が相まって、「自分」をより良くしようとします。で、より良くなることでリスクを回避しようとする働きが起こるわけですね。

リスクというのは不確実性を意味します。
その不確実な事に備えておこうとするわけですね。

その機能が、不確実な事、そして自分が損なわれる事を苦と感じます。

なので、よりリスクに対しての備えを望むわけなんです。

飢えるのは嫌なので、たくさん蓄えておきたいし、
ヒトは社会的な生き物ですので、人に好かれておかないと、
社会上うまくいかなくなるかもしれないので、好かれていたいし、
もっと言うなら、より人をコントロールできる立場の方が有利だと考えたりするわけですねん。

でね。
僕らが幸せを探し求める場合にもね、
この防衛本能を満足させておくと幸せなんとちゃうん?
と思っちゃったりするわけです。

なので、お金があれば幸せになれるはず!
と思ったり、権力があれば幸せになれるはず!
と思ったりするわけなんですよねー。

でも、この思いは、リスクに対する対応になっちゃいますので、
尽きる事がないんですよね。
だって、どうなるかわからないですからねー。
いくら蓄えたら安心なのか?なんてわからんわけです。

また、身体は常に変化し続け、いつしかその変化は身体の範囲を超えていきます。
ややこしい表現になっちゃいましたが、つまり、いわゆる死というやつです。
一番避けたいと思ってる死は避けられないわけですので、
どうしても探し求めてた安心は手に入らないんですよね。

なので、いつまでたっても幸せにはなれないんです。

またね。
湧き上がってくるワクワクを抑え込んで、防衛本能の声を優先させるために、抑え込む事によって不幸感を感じることもあると思うんですよね。

あれ?お金もあるし望みも叶ったはずなのに全然幸せやないやん!
わしゃ、食って出して死んでくだけなんか???
みたいな虚しさを感じちゃったりしてねー。

地位を得てお金を得ても幸せじゃない人って結構いるんですよね。

つまり、防衛本能の望みには探してた幸せって無いっちゅうことなんですよねー。

恐怖に支配されちゃったという事です。
しかも、その恐怖って、自分で作った恐怖やったというわけなんですよね。

もちろんお金も地位もあって楽しく幸せな人もいます。

そういう人ってやっぱり、自身のオモロイの表現に乗っかってるんですよね。
恐怖の声を優先するというよりは、ワクワクに乗っかってる。
乗っかりついでに結果的にお金も地位もついてきちゃった。
みたいなね。

そういう人は幸せそうにイキイキとしてはります。

お金も地位も恐怖を元にしたパターンと信頼をもとにしたパターンがありますのでねー。

好きなことやっとったら信頼もついてきちゃった!ってな人は幸せそうです。

恐怖パターンを採用した場合は、恐怖がもとになってますので、いつまでたっても恐怖がなくならんのですよね。
なんていうか、恐怖を解消しようとすると同時に、恐怖の芽を常に探してる。
みたいな感じでね。

というわけでございまして、
防衛本能の望みと湧き出てくる望み。

この防衛本能の望みを追求しちゃうと、終わらない幸せ探しループにハマってちゃうかもよ。というわけです。

じゃあ、湧き出てくる望みはどうやって探せばええのん?
ってことなんですが、まあこれは、湧き出てきますんでね。
探さなくていいんです。

探そうとすると、どうしても、
カシコでおらなあかんのとちゃうか?
こういうことをしなきゃならんのとちゃうか?
とかね。
結局足りないもの探しをしてしまいますのでね。
防衛本能の方の望みに引っ張られちゃうんですよね。

防衛本能は単なる本能ですので、本能は本能の働きに任せておいて、
ほっておいたら良いんです。

で、後は、湧き出てくるワクワクに乗っかっちゃえば良いんです。

もしかしたら、ワクワクと同時に
でもそんなことしたら人に変に思われるかもしれんよ!
とか、
お金にならんやん!
とか、
色々な声が聞こえてくるかもしれません。

そんな時は、そういうことは本能のあんたに任せるから
上手いことやっておいてくれや!

ってな感じで、置いておいて、遠慮せず、ワクワクに乗っかれば良いんですよね。

ワクワクは湧き出てくるのに任せておれば良いですし、防衛本能は本能に任せておけばええわけです。

そのまま任せておけばそこに至福があったということです。

幸せ探しをする必要はなく、はじめからそこにあるんですねー。

で、そこにあったもんを恐怖で覆い隠しとっただけやったというわけです。

気が向いたときにでも、
お!この望みはワクワクのやつやなぁー。とか、
ムムッ!この望みは恐怖感からのやつやなぁー。とか、

そんなのも見てみたら良いかもしれませんねー。


ただ、
恐怖感はあかんで!
ワクワクがええんやで!
ということでもありません。

そういう思いもまた、恐怖のタネになってたりもしますので、見たとしても、特に判断せず、オッケー!任せた!てな感じでリラックスしてりゃええんですよねー。

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