Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

「何にもなさ」と「全てが在る」が同時に矛盾なく存在している。

f:id:takuteto:20171127183609j:plain

シロクマくんっていうアイスが大好きなタクさんです。
どうもおはようございます。

シロクマくんはイチゴ味がお気に入りです。
練乳とイチゴのコンビは最強ですねぇ。

さて、
アイスのシロクマくんは置いておいて、
動物のシロクマの毛ってね。
実は白くない!って知ってました?

あの毛って、実は白いんじゃなくて透明なんですよね。
透明の毛に光が乱反射して白く見えとるだけらしいんです。

そう聞くと光って面白いですよねぇ。

光線自体は見えへんくせに、反射したもんは見えるわけです。
反射の角度や反射率によって色の見え方も違って見えてくるんですよね。

 

僕らが見てる世界も似てますよね。

「恋をした夜は〜♪全てがうまくいきそうでー♪」
やないですけど、
気分が良い時は、良い気分で世界を見ていたりして、
「何もかもがよく見えたりして」

でも自分の中のルールで
「これはあかんで!」
としているものを見た時は、
「あかん!これは間違いやで!」というふうに見えたり、
「暗い世の中やなぁ。。。」
みたいに見えたりしてね。

いろんな考えや自分の中の記憶と自分内のルール。
僕らが見ている世界は全部その自分の反射みたいなもんなんですよね。

その自分の中のフィルターを通さなければ何一つ掴むこともできないわけです。

目に見えてるものも光の反射であることは明白で光源を断てばすべては消えます。
真っ暗です。

僕らが見ていたカラフルな世界は、元は無色透明な光線なんです。
イチゴが赤く見えてても、それは一面的には正しく思えるけど見えているのが本当に真実か?と言えばそうじゃないわけです。本来は無色透明の光線がそう反射しとるにすぎないわけですからねー。
同様に静寂の中で何かを何かと見なしている時も、その間だけ何かがあるように思うわけで、それも真実か?と言われればそうではなく、単にそう見なしているだけとも言えます。
この何かを何かと見なしているというのは、何かしらのフィルターを通してそう見なしていると言うわけですね。

何もなくて全てがある。
一見矛盾して聞こえるこの言葉ですが、
それはあなたという光源から発する無色透明の光線が、カラフルに反射しているんだねー。
みたいな感じというわけです。

何もない無色透明と、カラフルな反射が同時にある。
みたいな感じです。

ま、これも例えにすぎないわけですがねー。

▼facebookページはこちら。毎日ひとことアップ中!
もしよろしければ、「いいね」をして、フォローをお願いします