Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

あ、あの、、、手放す覚悟ができたのに、まだ「それ」が起こらないんですけど、、、?

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フンフンフーン。
ハッハハハハーン♪

はい。
なぜかオリジナル鼻歌の最後は
レーミファ
ミーレードー♪
になってしまうタクさんです。
おはようございます。

 

わしゃねぇ、もう全てを手放す覚悟ができたんです。
準備もできてるんです。

なのになんでまだ「それ」が起こってこないんでしょう???

なんてことを思ったりすることがあるかもしれません。

あーだこーだという頭の中のおしゃべりにももううんざりですし、
何かを手に入れて喜んだも束の間、またガッカリすることがあったりして、、、。

だからね。
もうとっくに手放す覚悟は出来てるんですよ。

なのにー♪
なーぜー♪
まだおーこらーなーい♪♪

もうねぇ。
非二元の話なんかもそろそろウンザリしてきとるんですよ。
それよか、早くそれを起こしておくんなまし!

ってねー。
思っちゃったりもして、、、。

うん。
でも、それって、
やっぱりなんか「それ」みたいなものを
手に入れようとしてますやん?
全て手放せて無いですやん?
ってことなんですよねー。

そんなご無体な!!!
「それ」が欲しいから全部手放すんですやんか!!

って思わはるかもしれません。

でもそれも、つまり、
今までの全部では何かが足りないって思ってるわけですよね。
だから、「それ」で全てを埋められるはずだと。

でも、ここにある大きなジレンマは、
何かを得て、足りない何かが埋められる。
っていう話じゃ無いってことなんですよねん。

足りないという思い。
それが終わるわけです。

ま、実際に終わって消えて無くなるというわけじゃなく、
その思いは単なる幻想だと見抜かれるだけなんですけどね。

だから、腹は減りますし、
おっと、これが足りないぞ!といった思いは出てくるわけですが、
そこに付随する脅迫的な観念が消えていくわけです。

脅迫的な観念っていうのは、
「埋めねばならぬ!!!」
みたいな脅迫的な衝動のことなんですけどね。

だから、握り締めていた全てを手放す覚悟が出来たのなら、
もちょっと踏み込んで、握ろうとしている衝動の方を見てあげたらいいんです。

もちろん手放す覚悟が必要なわけではありません。
覚悟がなくても、手放せないー!って思ってる握ろうとする衝動の方を見てあげたらいいんです。

単に見るだけでいいんです。その衝動をどうにかしようとしなくていいんですね。
ただ、見ているということは、それはある種の心象風景だということです。
そこに必要以上の思い入れを持たなくても良いってことなんですね。

だから、その衝動を抑え込もうとするわけじゃなく、
単にスルーして見るんです。

その風景を見ずによそ見をしてやるんです。

胸を締め付けるような、丹田に重りがあるような、
そんな感覚があるかもしれませんが、
それも華麗にスルーしてやるんです。

どんなに締め付けてようが重く感じようが、
ぜーんぶ優しく包み込んであげるんです。

好きに表現してええんやで〜。ってなもんです。

すると、つかみ所のない何にもなさだけが残ります。
そこにリラックスしてみたらいいんです。

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