Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

型にはまらんでもええねんで。

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任せきってノリノリで居れば良いんですけど、
ノリノリでいようとは思うけど、やっぱりやらなきゃならんこともあったりして、
それが嫌だったり辛かったりするのよねー。
この環境から脱出しなきゃノリノリになりきれない気もするし、
でも、環境からすぐには脱することもできないいろんな事情もありますし、、、。

とまた、そういう風に思っちゃって、思考の中に入っちゃったりしちゃうもんですよね。

でね。
そんな思考のおしゃべりも、さらにほっといて、任せたったら良いんです。

 

任せたらちゃんとこの環境から脱出してうまく行く方法がみつかるのかしらん?
てな感じでまた思考がおしゃべりしてくるでしょう。

うん。そのおしゃべりもほっておいたら良いんです。

聞く耳を持つとそこからまた終わらない物語が展開しちゃったりするもんです。
それはそれで良いんですけど、

おろ?
またネズミの廻しグルマみたいなもんをやっとる!
って気づいたら、それをほっておいてみてください。

どうしても方向性を決めなきゃならない!っていう考えって結構根強いんですよね。
で、その考えに乗っかっちゃうと、終わらなグルグルが待っていたりするんです。

ノリノリに理由はいらんのです。
ノリノリに必要な状況ってものもありません。

理由や状況にこだわってるということもまた、結局のところ観念の言いなりになっとるということですのでねー。

ノリノリであるのかどうかを確かめる必要はありません。
観念の言いなりになってなかったらそれがノリノリなんです。

もちろんいろんな思考や感情は湧いてきます。

あー、またやな感情が湧いてきちゃった。
どうしたらこういう感情を閉め出せるんだろう?
なんて思うこともあるかもしれませんが、

んなもん、いつまででも湧いてきますからね。

もし、悟った人になるとそういうのが湧かなくなるなんて思ってるなら、
それは完全な思い違いです。

まず、悟った人はいてませんのでねん。

ノリノリは、状態や状況に依存しません。
気分にも依存しません。

こんなんやからノリノリじゃ無いわぁ。
っていうのとは全然違うんです。

そういった判断や観念を置いておくと見えてくるもんなんです。

判断も観念も、そのノリノリの中にあったわけなんですねー。

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