Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

ただ起こってるだけ。とは何でしょう?

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各個撃破ならどうということはない。ただ寄り集まると厄介だ。
それが一つの大軍になるからのう。

というわけで、いきなりなんの話やねん?
とお思いの方もおられる今日この頃。
おはようございます。
タクさんです。

 

思考ってね。いろんな断片をつなぎ合わせて一個の概念を導き出したりするんですよねー。
なんていうか結果に対して原因を探し出してひとまとめにしちゃうっていう感じで。

例えば、何かしらの失敗をしたとしたなら、
この失敗をしたのは、あの時の自分の選択が間違ってたからだー!
ってなって、
あの選択をした自分が悪いんだ!
となり、
そもそもあーゆう選択をしちゃう自分の性質にも問題があったのかも?
とさらに原因を探し求めたりして、
ああ、しまったー。
と言った具合に、どんどん罪悪感みたいなもんを膨れ上がらせたりするんです。

よく、それが単に起こっただけなんです。
みたいなことを僕も書いていますけど、
それは、そういった問題化した出来事のことを指しているのではなく、
なんていうか、失敗だー!という判断以前の
失敗や成功といった判断が起こる前の、
単なる起こったこと。
実際のところは、それが起こっただけやん?

っていうニュアンスなんですよねん。

引き寄せの法則とかをこじらせちゃうと、
ああー。自分の態度がネガティブだからこんなことが起きてるんだ!
こんな失敗も病気になるのも自分のせいなんだ。

みたいなね、余計な罪悪感をくっつけちゃったりしちゃうこともあるかもしれません。

もちろん絶対に反省するな、謝罪すべきことなんてない!
とかそーゆーことを言ってるわけじゃないんですけどね。

ただ、ホント、罪悪感のほとんど、いや、全部?は妄想の類なんですよね。

判断された結果に対して原因を付け足したり、さらに原因の原因をつけ足したり、
そういうことが雪だるま式に一瞬で出来上がったりするわけです。

で、大きくなった雪だるまをみて、そのでっかいひとつが起こったことだ!
としちゃったりするんです。

どでかいことが起こっとるで!
みたいな感じですかね。

でも、どでかいって思ってることのほとんどの部分は妄想やったりするんですよねん。

実際は起こることが単に起こっただけなんです。
それに妄想を付け足してどでかくしとるだけでねー。

だからね。不必要な罪悪感なんかで、自分を過小評価しちゃうなんてもったいないんですよねん。

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