Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

豚に真珠。馬の耳に念仏って実はこんな意味だったりして。

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「この世とあの世」みたいな話がありますよね、で、もしそういうのがあったとしましてね。
この世ではあの世のことは秘密になっているのだとしたら、
もう完全にあの世のことはわからない仕組みにしておかなきゃいけないですよねぇ。

前にも多分何度か書いたんですがね。

僕、子供の頃、
神さまは作りがあらいわ!
はっきり言って下手くそ!
詰めが甘いわ!

って思ってたんですよね。

だって、あの世があることがもうバレバレなんやもん。

それがバレるような世界作りしたらあかんやん!

って思ってたんですよね。

カブトムシは自然に幼虫からサナギになり、
羽化をして木の蜜を求め、オスとメスが交尾をして、
卵を産む。

誰に教わることもないのに本能でそう動く。

渡り鳥は地図もないのに旅をするし、打ち合わせもなく、
自然に隊列を組む。

小さな魚の群れは一斉に同じ方向に動いたりする。
誰に教わることなくね。

蛾はフクロウのように見える擬態をして天敵から身を守り、
カメレオンは体の色を変えて身をひそめる。

ね。

あかんやん!
バレバレやん!!!

絶対あの世で打ち合わせしとるやん!!!

あの世であらかじめ準備してるやん!!!
どう生きるかすでに決めてきてるやん!!!

せめて、
そこはバレないような世界作りにしておいてくれんと、、、。

みたいなことを考えては、
「神よ、、、。バレとるんやで。。。」
と心の中でつぶやいて見たりしてね。

 

でも、実は隠されてさえいなかったんですよね。

トニーパーソンズさんの言うように、
オープンシークレットやったと言うわけです。

そもそも分離してないので、あの世もこの世もなく、
打ち合わせが必要だったこともなく、完全に調和しておる世界やったというわけです。
誰も何も隠してさえおらず、
勝手にあれこれとルールを作っておったのは
僕らの方やったわけです。

あるのはこの世でもあの世でもなく、完全な調和のみやったんですね。

自身でルールを作りそのルールを誰かに教え、また、誰かに教わったルールの中の世界だけがあべこべやったんです。

しかもそのルールは文化や時代によって変わるわけですが、どの時代のどの文化の人も、
わしらのルールが正しい!と漠然と思ってるわけです。

大昔は政治を占いでやってたそうです。
そんな占いで政治をしてた人は、今の政治のやり方を見るとこう思うかも知れません。
「アホやなー!人が考えることなんて、曖昧で都合のいいことばっかりなんだから、人が政治を決めてどうするんや!それ、まとまるんかいな?」
ってね。

逆に今の人は
「占いで政治を決めるなんて昔の人は迷信ばっかりでアホやなぁー」
と思ったりしますよね。
で、我らは進化をしたんや!
なんて思い上がっちゃったりして。

このどちらもが、単なるルールで、そのルールを通して世界を見ておっただけやったりしてねー。

群れの魚は一匹の個別の魚たちが集まってるんだ!思ってるのも勝手な人間の判断で、
魚からしたら群れで一つなのかもしれませんし、それ以前に分離なんて考えすらないんでしょうね。

ゾウリムシは単細胞生物だー!っていうのなら、もしかしたら僕ら人間は細胞という個別の群れだとも言えるかも知れません。

そもそも群れだとか個別だとかという考え、ルールも人の中にあるだけのものですからね。しかもそのルールを教わったりして知っている人たちの中だけで共有されてるルールでしかないわけです。

豚に真珠。
馬の耳に念仏。

このことわざって実は豚や馬には本物の価値がわからんでぇっていう意味じゃなくて、
価値というルールにしばられてる人のことを表現したことわざだったりしてね。

人間よ。お前らだけやで、真珠や念仏をありがたがってるのは。
馬や豚が興味がないということは、それが真実の価値ではないっちゅうことや。
そんな価値にこだわる暇があったら、自身から湧き出る表現を単にそのまんま表現してやりなさい!

みたいなね。

つまりノリノリでおったらええんやんってことですね。
妙なルールの顔色を伺う必要はないっちゅうわけですねー。

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