ふあっ!
単位が足りへん!!!
ヤバイ留年や!!!!
おはようございます。タクさんです。
なんやねんいきなり。あんた学生やったんかいな!
みたいな始まりですが、もちろん僕はおっさんでございます。
実はこれ、以前、結構何回もみてた夢の話なんです。
大学を卒業して、就職してしばらく経ってからも結構見てたりしてたんですよねー。
まあ、それほど単位がギリギリやったわけなんですけど。
でね。
おもろいことに夢の中で、言い訳を始めたりするんですよね。
あ!!でもオレ、もう就職してるし!
それに卒業証書ももらってるし!
だから、今さら単位足りませーんとか言われても、
知りませーん!で押し通せるんとちゃうやろか??
そうそう!こっちには卒業証書があるんやから勝てるやろ!
ってところで、ちょっと安心して目がさめるわけです。
この、「わしは卒業証書を持ってるねんで!」ってのが、夢から覚めるフックになっとるんですよね。
で、目がさめて、ちょっとの間は、まだ「卒業証書持ってるねんで!」って思ってるんですが、徐々に、
おっ!夢やったんかー!良かったー!そういえばまたこの夢みたなぁー!
ってなって目がさめてくるんです。
「卒業証書持ってるねんで!」が夢を夢と見抜く一つの手段になっとったんですな。
さて、この現実っちゅうのも、夢と同じようなものでございます。
イメージのようなもんですね。
その証拠に全く同じ現実を生きている人はおりません。
全てがオリジナルです。
まあ、非常に似てる部分があるからややこしいですけどね。
この現実も、現実というイメージの中にはまり込んでいると、それをイメージだとは見抜けません。
そんな時には、非二元の理屈は役立つことがあるかも知れません。
夢で言うところの「卒業証書持ってるねんで!」みたいなもんです。
「ん?もしかしたら、自分は何かしらの観念の元、その観念から生み出される物語に引っ張られておるんとちゃうやろか?」
みたいな感じで、ちょいと落ち着いてみるって感じです。
もちろん、理屈というからには、どんな理屈もイメージの中の物語ですので、非二元の理屈だって、物語の一部なわけです。
なので、理屈を追い求めてもその先に答えがあるというわけやありません。
非二元という何かがあるわけでもなく、
悟った誰かがいるわけでもなく、
観念という何かがあるわけでもなく、
自我やカルマというものがあるわけでもないわけですが、
ただ、あんた、イメージにはまり込んどるで!というのに気づかないことには始まりませんので、なんていうか準備体操的にそういう理屈を利用するのはアリなんです。
僕もよく、なにかをしようとせずに、単にそのまんま見てみたらいいんです。
とか書いてますけど、見てみる以前にイメージにハマりこんどることに気付かなきゃいけませんのでねー。
そういう時に非二元の理屈を参照してみるのはアリかも知れませんね。
ハマりこんどることに気づいたらあとはその理屈も一緒にポイっと捨ててしまえばええんです。
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