Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自由と欲求

f:id:takuteto:20170505095812j:plain

かーっ!
自由になりたい!

ってねぇ。
皆さんも思ったりしますよね。

私は自由に空を飛び回りたいの。
だから、私は翼が欲しい。

まあ、翼は別に良いけど、
なんとなく縛られてるような環境に対しては
自由でいたい!って思ったりもするもんです。

でね。
自由になりたい!と思ったら、最初に思いつくのは、
今、不自由だと思っていることやと思うんですよ。

この不自由を解決したら自由になれる!ってね。

それは、お腹が減った!というのであれば、食べれば解決するっていうものから、
もっとお金があったら、今の不自由から解放される!
と言ったものまで様々かと思います。

 

ご飯を食べたら、まずは一安心ですけど、
夜の分の確保しておかなきゃいけないなぁ。
いや、夜だけじゃなく、明日の分も、
いや、明日だけじゃなく今月分は確保しておかなきゃ、
いやいや、今月だけじゃなく、今年、いや老後のことにも備えておかなきゃ!

と不自由感はどんどんと膨れ上がってきちゃったりしてね。

そうやって広がる不自由感を解放するには、ある種のパワーを持たなきゃならない!
ってねー。考えたりもするもんですよね。

ご飯のことなら、とりあえずお金を稼いでおけば良いと思うので、
稼げるパワーを得ようとしますし、万が一の時に缶詰を買い込んでおいたりね。

で、そうなったとしても、さらに欲求は広がります。
お金があるだけでは幸せとは言えない!
健康も!そしてパートナーも!ってなってくるわけです。

たしかに一つの欲求が叶えられると、ある種の解放感を感じたりしますよね!
でも、その解放感って、何かを達した達成感もあるかも知れませんが、実は欲求がなくなったことに対しての解放でもあったりするんですよねー。

そうやとするなら、欲求がなきゃ最初っから解放されとるやんけ!
っちゅう話でもあるわけです。

ま、僕がここで言ってる自由っていうのは、
あらゆることを叶えるパワーを持つことというのではなく、
叶えたいという欲求さんにご苦労さん!と一声かけて、ほっておけるという自由なんですよね。

それは、欲求さんを否定するわけじゃありませんし、
また、欲を滅せねばならぬ!ということじゃありません。

たんに欲求さんの傘下に入らないということです。対等な付き合いをすりゃいいというわけなんです。

不自由さというのは、欲求が引き起こすというよりは、その欲求にコントロールされる。支配されるから引き起こされるわけですが、
もっというと支配される誰か?ってのもいてませんので、無いんですけどね。

まあともかく、欲求からのコントロールを離れるには、
まずは、欲求さんに、今日もご苦労さんやねぇって声をかけてあげるといいかもしれません。
するとそこで初めて、欲求さんと自分との間にスペースがあることに気づきますからね。

まあ、その自分もイメージであり幻想のようなもんなんですけど、その辺の理屈は置いておいて、
欲求さんも元気に働いてはる。それは、窓の外に吹く風と同じように単に起こってるわけです。
それを単に見てあげるだけで、別にその働きに、つきあってもつきあわなくてもどっちでも良いんですよねー。

どっちでもいい!というのは、つまり、
割とどうでもいい!っていうことなんですが、

そのどっちでもいい!っていうのが自由さなんです。

▼facebookページはこちら。毎日ひとことアップ中!
もしよろしければ、「いいね」をして、フォローをお願いします