Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

先に命ありきですやん

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ガッハッハッハ!って笑えるのも、
オヨヨヨヨヨォ〜って泣けるのも、
命があるからですよねぇ。

今日は気分がいい!と感じるのも、
あかん、調子悪いわ、、、。と感じるのも、
命があるからです。

いろんな思いがよぎるのも、
その思いも命というスペースの中だからこそ
思いがよぎることができるわけでありまして、

やっぱ命ありきだというわけです。

だからこそ、この命をうまく管理してより強くより長くしようと思うんやないかー。
ってね。
そう考えたりもするわけですね。

 

なので、足りないものを埋めようとしますし、
より丈夫になろうとしたり、
より安心だと思えるようにそういった環境を整えようともするわけです。

で、そういう試みがうまくいっているうちは良いんですけど、
うまくいかないから悩みますし、不安に思うわけなんですね。

また、うまくいっていたとしても、まだどこかに不安要素はあるわけで、
より良くしていかなきゃならないは次から次へと続くわけです。

そしてどこかでうまくいかないことがあると、
やっぱり悩んだり、不安に襲われたりするわけですね。

で、どうしたらこの悩みや不安を取り除けるのだろうか???
と答えを探し求めるわけです。

でもね。
そもそも、命ありきだったわけですよねぇ。

んん???

ちょっと良く考えてみましょ。
なんでこんな不安が起こっとるんや?
ということです。

そもそもは、
この命を守ろうとした思いから始まっておったはずです。
だから、死が怖いわけです。

つまりこの一連の動きは命をなんとかより良く維持管理しようとすることから始まっておったわけでして、
この動きの失敗は死だということになりますから、常に死の恐怖があったわけです。

じゃあね。
冒頭に戻ってみましょう。

僕らが笑えるのも泣けるのも、命があるからでして、
いろんな思いが抱けるのも、命があるからだったわけです。

つまり、命ありき。
最初に命があったからだったわけなんですよね。

維持管理しようとする思いすら、最初に命があったから抱けた思いだったわけです。

ありゃま。
じゃあ、いろんなことを思おうが、何を心配しようが、
元々命はここにあったということになりますねぇ。
そしてその命には持ち主も、管理者も無かったわけで
いたこともなかったんです。

ほえぇぇ。

不安も心配も、ガッハッハッハもオヨヨヨヨヨも、
ワイが命を維持管理しとるんやでという思いも、
その命の中で起こっては消えていただけやったんです。

でもって、そういったあらゆる起こることと命とは、
全く離れておらず、同じやったんです。
ガッハッハッハ!は命そのもの、
オヨヨヨヨヨも命そのもの。
思いも感情も命そのものの表現やったわけで、
それ以外には何にもないんですよね。

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