Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自我の超越

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三国志っていうゲームがあるんですけどね。
国を運営しつつ兵を増やして他の国を制圧して天下を統一する。
みたいなゲームなんですけどね。
このゲームではまず、国づくりをする前に人を雇わなきゃいけないわけです。なので、人材を探すわけなんですけどね。
人材には、武力が強いやつがいたり、頭が良いやつがいたりとかするわけですね。

でね、
頭のいい人材に軍師という役職をつけたら、色々と助言してくれるんですね。

他の国と同盟を組もうと思ったら、
「主君、それは失敗しますぞ!」
とか、
畑を耕す命令を出そうとしたら、
「我が君、いい考えですぞ!」

といった具合にね。

アホなやつを軍師につけると、
「絶対に成功間違いなしですぞ!」
って言ってても、平気で失敗になったりするんです。

で、三国志の英雄で天才と名高い諸葛亮孔明さんを軍師に据えますとね。
もう100発100中で、助言通りになるわけですよ。

なのでね。
このおっさんが、
「必ず成功しますぞ!」
って言うまで、何回も
命令をキャンセル、実行を繰り返す。
なんてことになって、

キャンセル、実行、
「失敗しますぞ」→
やり直し、
実行
「失敗しますぞ」→
キャンセル、
実行。。。。

なんてやってますとね。

なんやねんこれは!賽の河原かっ!
ってね。
ゲームというよりはなんか面倒臭い作業をしてる感じになったことを思い出しました。

 

と、言うわけで、おはようございます。
タクさんです。

まあね。結局ゲームでも人生でも同じやと思うんですけど、
何かに使われてしまう道具みたいになってしまうと、
ものすごく窮屈ですし、オモロくないんですよね。

例えば、
皆さんの心中にもいてません?
やたらとチェックするチェックマン。チェックウーマンみたいな存在。

まあ、これも単なる反応、反応によるクセでしかないんですけど。

あ、これはダメなんじゃない?
あの時はこう言ったほうが良かったんじゃない?
まだ自分は頑張りが足りない。
こういうところがダメなクセだなぁ。。。

みたいな感じのやつです。

四六時中チェックしとるやつですね。

非二元の本を読んでも、ブログを読んでも、
自分はまだあの作者のようには感じられてない。
だから、多分何かが足りないんだ。
真理がわかったとしたら、こんな足りないって思いは出てこないはずだ!
だから、自分はまだ足りない。
今日だって怒りが沸き起こってきたし、
ちょっといい気分でリラックスできたこともあったけど、また不安に取り込まれてる。
本を読んだり、覚者風のおっさんの動画を見たりした直後だけはいい気分を思い出すけど、
またすぐに忘れてしまう。

とかね。
そんなチェックをしとる奴です。

はたまたこのチェックさんは自分を正当化しようともするんですよね。

あんな風になったのは自分のせいじゃなくて、
周りの対応が悪いからだ。
みんな全然分かっちゃいない。
俺がカシコイ!周りがダメだ!
あれがダメなんだ!
そして、あれがダメだということは、自分は正しいんだ!

みたいなね。

でもね。
この頭の中のチェックマンってね。
そんなに正しいもんでもないんですよね。

なんていうか、そんな大げさなリアリティをもって
迎えてあげなきゃいけないもんでも無いんです。

ちなみにこのチェックマンは、壮大な自作自演をしとるとも言えるんです。

一個のテーマを引っ張り出してきたり、でっちあげたりしてね。

だから、これはあかん!
もっとこうならなきゃあかん!

ってな概念を生み出し続けるわけです。

まあ、ゲームでも何かの言いなりでやってるとオモロないし窮屈なのと一緒でねー。
頭の中のチェックマンの言いなりになると、途端に不安になりますし、窮屈になってきます。

ほんとはそんなに真に受ける必要性もないんですけどね。

だからといって、じゃあこのチェックマンが出てこない自分にならなければ!
ってなるのもちょっと違いまして、、、。
それもチェックマンがそうゆーとるんですよね。

単に、本能としてチェックが起こるわけです。
それは、自然現象と一緒ですので、
今日もご苦労さん!と労ってやるくらいで丁度いいんですよねん。

そんなことが明らかになりますと、チェックマンは窓の外の天気のようなもんと一緒なんやん!
なんも大げさに気にすることもあらへんやーん。
ってなるわけです。

それがいわゆる超越ってことなんですよね。

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