Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自我ちゃんの太鼓持ち

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自我ちゃんや思考って別に悪いもんやありませんのでねー。

ああ、カルマだ。。。
とか言って蓋をして消し去ろうとせんでもいいと思うんです。

っていうか、そんなん消し去れる人っておりませんし、
結局のところ、
そういった思考やら感情が起こってるのを
許せてるか、
「そんなんあかーんっ!」
ってなってるかのどっちかなんですよね。

で、その思考や感情を否定して抑え込もうとしちゃうと、
そこに抵抗感が生じますのでね。

それがなんか苦になるわけです。

 

思考とか感情って単なる反応みたいなもんですのでね。
そしてその反応の元には何かしらの決め事みたいなもんがあるわけです。

だから、
これはあかーんっ!
ってな感情や思考も出てくるわけでして。

この決め事って、よくよくみて見ると、
ホントおままごとのルールと同様、単にそうみなしただけ。
ってパターンでしてね。
ま、一見ものすごく説得力のある真実のように見えるかもしれませんけどねー。

よくよく見ていくと、
あ、そうか。
そういうルールを元にイメージを膨らませとっただけなんか。
ってねー見抜かれていくわけなんです。

まさに、おままごとそのままやんけっ!
ゆーてねー。

なので、問答無用な感じで、思考や感情を手放していく
というよりは、

もっと褒め称えてあげたらいいと思うんです。

不安や不満が起こるのも、感情がざわつくのも、
ちゃんと自我ちゃんのチェックが怠らず機能しておるっちゅう事ですからね。

やるやんっ!今日も頑張ってるやん!エライやん!
ってね。

不安や不満に乗っかる必要性は全くないんですが、
そうやって褒めてあげると、

えへへ、、、そうかなぁ、、、えへへへへ

って、照れよるのが自我ちゃんですので。

そうすると、わざわざ抑え込む必要性も無くなってきますのでね。

抑え込む必要性のなさが板についてきますと、
なんていうか、乗っかっても全然ええやんって感じになるんですけどね。
ってか、乗っかる誰か?ってのもいてないんですけど。

ウホッ
乗っかる、乗っからないもイメージなら、
この乗っかる材料であったこの思いもイメージで、
イメージを掴み取ってる間だけ、単にイメージにリアリティがくっついてるように見えてるだけで、
それらは、イメージ以上でも以下でもないから、
なんら、そこにパワーはそんざいしてなくて、、、。

ウホホッ
これはまさに一人相撲ですやん!

ってことになるんですよねー。

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