Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

ほんまにあるのは「それ」だけですんで。

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このブログの記事のような話とか、
いわゆる先生の話とかね。

そういうのを聞いたり読んだりして、
「いやぁー。わからんわぁー!さっぱりやわ。」

ってなることもあると思うんです。

はたまた、
僕もよく、わからんままでええねん。
とか書いてますけど、

「うーん。わたしゃ、まだわからんままではおられんわ。
あんなことやこんなことが気になってしゃーない!」
ってね。
思ったりもするかもしれません。

 

でもねー。
それでも全然良いんですよねー。
っていうか、
それなら、それが単に起こってるだけですのでねー。

で、何が起こってようと、
あるのは、「それ」だけなんです。

先生の話が良くわかるようになるのでもなく、
わからんままでいい、何も気にしない自分になるわけでもないんですね。

なってもいいんですけどね。

その辺はどっちでも良いんです。
どっちになろうが、単にそれが起こってるだけっていうことですしね。

手をポンっと叩いてみてください。

ポンっ!

はい。あるのは「それ」だけ。以上。

ってことなんですね。

なんやねん!
わからんわ!
ってなるのなら、
単に「わからんわ!」が起こってるだけ。

そしてあるのは「それ」だけなんですね。

ちょっっっw
だぁーかぁーらぁー。
「それ」ってなんやねん!

ってなるかもしれません。

なんやねん?といわれれば、「なんでも無いものですわ」
と答えるしかないんですが、

なんで、「何か」にしなきゃいけないのか?ってことなんですよね。

なんでもかんでも、「何か」にしようとする衝動もね、
これも単なる衝動として、
外に吹く風と同じような自然現象のようなもので、
単に起こっとるだけやったりするんですね。

別にその衝動に従う必要もなく、
従ってても別にオッケー。

ただ、ありとあらゆるものを「何か」にした時に、
元々あるそれそのものを「何か」に変換して、
その変換したものだけを見ちゃうと、
「それそのもの」を見失うわけです。

で、それもまた、単に「見失う」が起こってるだけ、
でもって、あるのは「それ」だけっていうねー。

チャンチャン♪
ですわ。

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