Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

クセについて

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たとえば、
よく、単にクセを見抜くだけですねん。

みたいなことを言ってたりもするわけなんですけど、
このクセってなんのクセ?ってことについては
もしかしたら、あまり言及してなかったかもしれません。

 

まあ、このクセっていうのも、
何かをつかみ取ろうとすることだったり、
行為者という自分がいるという思い込みだったりするんですけどね。

何にもないからこそ、何かを掴もうとするんですね。
で、掴んだものの中で判断したりしてねー。
で、その最初の掴もうとする衝動。
それがここで言うところのクセなんですよねー。

ワンネスみたいな感覚を知っても、
だからと言って自分がおらんかったらなんも始まらんやんけ!
ゆーて、クセに戻ってきたりするわけです。


よく見てみたらいいんです。って言ってるのもね。
個別の思考をいちいち見ると言うよりは、このクセがまた出とるなぁ〜ってね。
そういう風に見てあげたらいいんです。見るのはこのクセの方なんですよねー。

わたしのいなさをしった自分が、
「そうそうそういう体験も確かにあった!
わかるよー。」
ってなるのであれば、もうすでにクセに戻ってきておるわけです。

それが単なるクセだと見抜かれるのは、
自分という観念がなくてもなんら変わらずやっていける。
ということを知る時やったりします。

それが杖なしで歩けるやん!とか、

このプール、深いと思ってたけど、足つくやん。っていうか膝くらいまでしかないやん!

と知るのに似た感覚なんですよねん。

何にもなきゃなんも始まらんやんっていう思いは、誤解やったわけですね。

それが見抜かれるまでは、やっぱり自分がいなきゃ怖いわけです。

自分を失ってしまう!
みたいな思いがあるわけなんですよね。

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